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ミケル祭の聖者
ミケルさいのせいじゃ
作品ID49519
著者片山 広子
文字遣い新字旧仮名
底本 「燈火節」 月曜社
2004(平成16)年11月30日
入力者竹内美佐子
校正者林幸雄
公開 / 更新2009-10-11 / 2014-09-21
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 九月二十八日はミケルマス(ミケル祭)といつて、聖マイケルを記念する祭日である。むかしはミケルマスの前夜にはたいそう賑やかな催しがあり、幾組かのあたらしい婚約者も出来あがる慣はしであつたさうだが、現代ではどの聖者の祭日もみんな同じやうなもので、先づおミサに始つて、それから家々で飲んだり食べたり騒いだりするものらしい。
 おもてむきの解説では聖マイケルはキリスト教の聖者であるが、ほんとうはもつとずうつと古い、異教時代の神か英雄であつたらしく、マイケルを祭る儀式といふのは非常に古いふるいにほひを持つてをり、ミケル祭の供へ物に仔羊を殺すしきたりも、或はキリスト教以前にはもつと野蛮な捧げものをしたのかとも疑はれる。
 フィオナ・マクレオドはイオナ島について書いてゐる中で、聖マイケルは大古の海洋の支配者マナナーンと同じ存在であつたらうと言つてゐる。おもて向きには聖マイケルは偉大な力をもつ天使で、聖ジヨージが陸を守護する天使であると同様に、海岸や海に住むものの守護神とされてゐる。そのうへ、馬や旅びとの守護神でもあるといふ。聖者コラムがイオナ島で死ぬとき、聖マイケルはみなぎる光の波の上に無数の天使らのまばゆい翼の雲をひいて降りて来て、いま死なうとする人の枕辺で神を讃美する歌をうたつたと伝へられてゐる。
 海洋の支配者マイケルが聖書に出てくる天使の長マイケル(ミカエル)と同一であるかどうかはわからないが、たぶんは、さうだらうと言はれてゐる。アダムとイヴがイデンの楽園から追ひ払はれ、荒涼たる世界の旅に出ようとして、なごり惜しく過去の住家を振りかへつて見た時、天使ミカエルが輝く剣を持つて楽園の門を守つてゐたといふやうな話を子供の時分きかされたけれど、創世紀には天使ミカエルが門番をしてゐたとは書いてない。をさない私の耳にきかされた伝説であつたと思はれる。
 ヨハネ黙示録には「かくて天に戦起れり、ミカエルその使者を率ゐて龍とたたかふ、龍もまたその使者を率ゐて之と戦ひしが、勝つこと能はず且ふたたび天に居ることを得ず、是に於いてこの大なる龍すなはち悪魔と呼ばれサタンと呼ばるる者、全世界の人を惑はす老蛇地に遂ひ下さる、その使者もまた共に遂ひ下ろされたり。」サタンは天使の長で神に次ぐものであつたといふのに、老蛇なぞと言はれてはずゐぶん身分が堕ちてしまつて気の毒に思はれる。「失楽園」の詩に出てくるサタンはもつと立派なさつそうたるものだつたやうに記憶してゐる。但し聖書の作者たちはみんなユダヤ流に、エホバと自分たち以外の者を軽蔑してサタンも年寄の蛇ぐらゐにしたのかもしれない。(こんな事をくよくよ言つて横道にまごついてると、サタンに笑はれる)
 それからユダの書といふのに「天使の長ミカエル悪魔とモーセの屍を争ひ論ぜしとき云々」とあるが旧約聖書のモーセの死ぬところにはそんな事はすこしも出てゐない。民…

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