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三崎町の原
みさきまちのはら
作品ID49528
著者岡本 綺堂
文字遣い新字新仮名
底本 「岡本綺堂随筆集」 岩波文庫、岩波書店
2007(平成19)年10月16日
初出「不同調」1928(昭和3)年3月号
入力者川山隆
校正者noriko saito
公開 / 更新2008-12-22 / 2014-09-21
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 十一月の下旬の晴れた日に、所用あって神田の三崎町まで出かけた。電車道に面した町はしばしば往来しているが、奥の方へは震災以後一度も踏み込んだことがなかったので、久振りでぶらぶらあるいてみると、震災以前もここらは随分混雑しているところであったが、その以後は更に混雑して来た。区劃整理が成就した暁には、町の形がまたもや変ることであろう。
 市内も開ける、郊外も開ける。その変化に今更おどろくのは甚だ迂濶であるが、わたしは今、三崎町三丁目の混雑の巷に立って、自動車やトラックに脅かされてうろうろしながら、周囲の情景のあまりに変化したのに驚かされずにはいられなかった。いわゆる隔世の感というのは、全くこの時の心持であった。
 三崎町一、二丁目は早く開けていたが、三丁目は旧幕府の講武所、大名屋敷、旗本屋敷の跡で、明治の初年から陸軍の練兵場となっていた。それは一面の広い草原で、練兵中は通行を禁止されることもあったが、朝夕または日曜祭日には自由に通行を許された。しかも草刈りが十分に行き届かなかったとみえて、夏から秋にかけては高い草むらが到るところに見出された。北は水道橋に沿うた高い堤で、大樹が生い茂っていた。その堤の松には首縊りの松などという忌な名の附いていたのもあった。野犬が巣を作っていて、しばしば往来の人を咬んだ。追い剥ぎも出た。明治二十四年二月、富士見町の玉子屋の小僧が懸取りに行った帰りに、ここで二人の賊に絞め殺された事件などは、新聞の三面記事として有名であった。
 わたしは明治十八年から二十一年に至る四年間、即ちわたしが十四歳から十七歳に至るあいだ、毎月一度ずつは殆ど欠かさずに、この練兵場を通り抜けなければならなかった。その当時はもう練兵を止めてしまって、三菱に払い下げられたように聞いていたが、三菱の方でも直ぐにはそれを開こうともしないで、ただそのままの草原にしておいたので、普通にそれを三崎町の原と呼んでいた。わたしが毎月一度ずつ必ずその原を通り抜けたのは、本郷の春木座へゆくためであった。
 春木座は今日の本郷座である。十八年の五月から大阪の鳥熊という男が、大阪から中通りの腕達者な俳優一座を連れて来て、値安興行をはじめた。土間は全部開放して大入場として、入場料は六銭というのである。しかも半札をくれるので、来月はその半札に三銭を添えて出せばいいのであるから、要するに金九銭を以て二度の芝居が観られるというわけである。ともかくも春木座はいわゆる檜舞台の大劇場であるのに、それが二回九銭で見物できるというのであるから、確に廉いに相違ない。それが大評判となって、毎月爪も立たないような大入りを占めた。
 芝居狂の一少年がそれを見逃すはずがない。わたしは月初めの日曜ごとに春木座へ通うことを怠らなかったのである。ただ、困ることは開場が午前七時というのである。なにしろ非常の大入りである上に、…

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