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風呂を買うまで
ふろをかうまで
作品ID49530
著者岡本 綺堂
文字遣い新字新仮名
底本 「岡本綺堂随筆集」 岩波文庫、岩波書店
2007(平成19)年10月16日
初出「読売新聞」1924(大正13)年7月28日
入力者川山隆
校正者noriko saito
公開 / 更新2008-12-22 / 2014-09-21
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 わたしは入浴が好きで、大正八年の秋以来あさ湯の廃止されたのを悲しんでいる一人である。浅草千束町辺の湯屋では依然として朝湯を焚くという話をきいて、山の手から遠くそれを羨んでいたのであるが、そこも震災後はどうなったか知らない。
 わたしが多年ゆき馴れた麹町の湯屋の主人は、あさ湯廃止、湯銭値上げなどという問題について、いつも真先に立って運動する一人であるという噂を聞いて、どうも好くない男だとわたしは自分勝手に彼を呪っていたのであるが、呪われた彼も、呪ったわたしも、時をおなじゅうして震災の火に焼かれてしまった。その後わたしは目白に一旦立退いて、雑司ヶ谷の鬼子母神附近の湯屋にゆくことになった。震災後どこの湯屋も一週間乃至十日間休業したが、各組合で申合せでもしたのか知れない、再び開業するときには大抵その初日と二日目とを無料入浴デーにしたのが多い。わたしも雑司ヶ谷の御園湯という湯屋でその二日間無料の恩恵を蒙った。恩恵に浴すとはまったくこの事であろう。それから十月の初めまで私は毎日この湯に通っていた。九月二十五日は旧暦の十五夜で、わたしはこの湯屋の前で薄を持っている若い婦人に出逢った。その婦人もこの近所に避難している人であることを予て知っているので、薄ら寒い秋風に靡いているその薄の葉摺れが、わたしの暗いこころを一としお寂しくさせたことを記憶している。
 わたしはそれから河野義博君の世話で麻布の十番に近いところに貸家を見つけて、どうにか先ず新世帯を持つことになった。十番は平生でも繁昌している土地であるが、震災後の繁昌と混雑はまた一層甚だしいものであった。ここらにも避難者が沢山あつまっているので、どこの湯屋も少しおくれて行くと、芋を洗うような雑沓で、入浴する方がかえって不潔ではないかと思われるくらいであったが、わたしはやはり毎日かかさずに入浴した。ここでは越の湯と日の出湯というのに通って、十二月二十二、二十三の両日は日の出湯で柚湯に這入った。わたしは二十何年ぶりで、ほかの土地のゆず湯を浴びたのである。柚湯、菖蒲湯、なんとなく江戸らしいような気分を誘い出すもので、わたしは「本日ゆず湯」のビラをなつかしく眺めながら、湯屋の新しい硝子戸をくぐった。
宿無しも今日はゆず湯の男哉
 二十二日は寒い雨が降った。二十三日は日曜日で晴れていた。どの日もわたしは早く行ったので、風呂のなかはさのみに混雑していなかったが、ゆず湯というのは名ばかりで、湯に浮んでいる柚の数のあまりに少いのにやや失望させられた。それでも新しい湯にほんのりと匂う柚の香は、このごろとかくに尖り勝なわたしの神経を不思議に和げて、震災以来初めてほんとうに入浴したような、安らかな爽かな気分になった。
 麻布で今年の正月をむかえたわたしは、その十五日に再びかなりの強震に逢った。去年の大震で傷んでいる家屋が更に破損して、長く住むには…

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