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能因法師
のういんほうし
作品ID49536
著者岡本 綺堂
文字遣い旧字旧仮名
底本 「修禅寺物語 正雪の二代目 他四篇」 岩波文庫、岩波書店
1952(昭和27)年11月25日
初出「帝國劇場」新歌舞伎研究會、1920(大正9)年11月初演
入力者川山隆
校正者noriko saito
公開 / 更新2010-07-05 / 2014-09-21
長さの目安約 36 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

  登場人物
能因法師
藤原節信
能因の弟子良因
花園少將
少將の奧園生
伏柴の加賀
陰陽師阿部正親
[#改ページ]

藤原時代。秋のなかば。
洛外の北嵯峨。能因法師の庵。
藁葺の二重家體にて、正面の上のかたに佛壇あり、その前に經卷をのせたる經机を置く。
佛壇につゞきて棚のやうなものを調へ、これに歌集または料紙箱、硯など色々あり、下のかたは壁にてその前に爐を設く。下のかた折曲りて竹の肱掛窓あり。家體の上のかたは奧の間のこゝろにて出入の襖あり。庭に面せる方は簾をたれたる半窓にて、窓の外には糸瓜のぶら下りし棚あり。庭の下のかたに低き垣の枝折戸、垣のほとりには秋草咲けり。垣の外には榎の大樹あり。うしろには森、丘、田畑など遠く見ゆ。

(主人の能因法師、四十餘歳、上のかたの窓より首を出してゐる。その顏は日に燬けて眞黒になつてゐる。弟子の良因は庭に降りて落葉をかいてゐる。鳥の聲きこゆ。)
良因  どうもひどい落葉だな。秋もだん/\に深くなつたとみえて、この頃は一日ごとに落葉が多くなつて來た。おゝ、鳥が頻りに鳴く。(空をみる。)けふは好い天氣だ。野遊びの人も澤山出たであらう。
能因  (窓より聲をかける。)良因。良因。
良因  はい、はい。
能因  好い天氣だな。
良因  朝夕は北山颪しがそろ/\と身にしみて來ましたが、日のなかはまだ少し暑いくらゐでございます。
能因  秋のゆふ日といふものは、忌にびり/\と暑いものだ。かうして毎日毎日顏を晒してゐるのも隨分難儀だぞ。察してくれ。
良因  お察し申します。きのふは少し用があつて、京の町までまゐりますと、六條の河原にあなたと同じやうな首が梟らされて居りましたよ。
能因  六條河原に……獄門か。
良因  丁度そんな首でございました。
能因  馬鹿を云へ。しかし斯うやつて首だけ晒してゐるところは、まつたく獄門だよ。隨分黒くなつたらうな。
良因  好い加減に染まりました。もう些との御辛抱でございませう。
能因  あき風が大分吹いて來たから、もうそろ/\と『秋風ぞ吹く白河の關』と遣つてもよからう。
良因  いや、まだ些と早うございませう。奧州からこゝまで歸るには、道中の日數がなかなかかゝりますからな。
能因  毎日この糸瓜と睨みつくらをしてゐるのも隨分苦しいぞ。あゝ、秋風がもつと吹いてくれ。あき風ぞ吹く白河の關……秋風ぞ吹く白河の關……。どうだ、幾たびも訊くやうだが、おれの顏も好い加減に黒くなつたらうな。
良因  御心配には及びません。さうして根よく天日に晒しておゐでなさいましたから、染は上染、眞黒々に染めあがりました。
能因  誰が見ても長の道中をして來たやうにみえるだらうな。
良因  それは大丈夫。請合でございますよ。およそ世界にそんな眞黒な顏をしてゐるのは、あなたと海坊主のほかはございますまい。はゝゝゝゝゝ。
能因  はゝゝ…

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