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修禅寺物語
しゅぜんじものがたり
作品ID49546
副題――明治座五月興行――
――めいじざごがつこうぎょう――
著者岡本 綺堂
文字遣い新字新仮名
底本 「岡本綺堂随筆集」 岩波文庫、岩波書店
2007(平成19)年10月16日
初出「美芸画報」1911(明治44)年6月号
入力者川山隆
校正者noriko saito
公開 / 更新2008-12-18 / 2014-09-21
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 この脚本は『文芸倶楽部』の一月号に掲載せられたもので、相変らず甘いお芝居。頼家が伊豆の修禅寺で討れたという事実は、誰も知っていることですが、この脚本に現われたる事実は全部嘘です。第一に、主人公の夜叉王という人物からして作者が勝手に作り設けたのです。
 一昨々年の九月、修禅寺の温泉に一週間ばかり遊んでいる間に、一日修禅寺に参詣して、宝物を見せてもらったところが、その中に頼家の仮面というものがある。頗る大いもので、恐く舞楽の面かとも思われる。頼家の仮面というのは、頼家所蔵の面という意味か、あるいは頼家その人に肖せたる仮面か、それは判然解らぬが、多分前者であろうと察せられる。私が滞在していた新井の主人の話に拠ると、鎌倉では頼家を毒殺せんと企て、窃に怪しい薬を侑めた結果、頼家の顔はさながら癩病患者のように爛れた。その顔を仮面に作らせて、頼家はかくの通りでござると、鎌倉へ注進させたものだという説があるそうですけれども、これは信じられません。
 とにかく、その仮面を覧て、寺を出ると、秋の日はもう暮近い。私は虎渓橋の袂に立って、桂川の水を眺めていました。岸には芒が一面に伸びている。私は例の仮面の由来に就て種々考えてみましたが、前にもいう通り、頼家所蔵の舞楽の面というの他には、取止めた鑑定も付きません。
 頼家は悲劇の俳優です。悲劇と仮面……私は希臘の悲劇の神などを聯想しながら、ただ茫然と歩いて行くと、やがて塔の峰の麓に出る。畑の間には疎に人家がある。頼家の仮面を彫った人は、この辺に住んでいたのではなかろうかなどと考えてもみる。その中に日が暮れる、秋風が寒くなる。振返って見ると、修禅寺の山門は真暗である。私は何とも知れぬ悲哀を感じて悄然と立っていました。その時にふと思い付いたのが、この『修禅寺物語』です。
 全体、かの仮面は、名作か凡作か、素人の我々にはちっとも判りませんが、何でも名人の彫った名作でなければならぬ。その面作師というのは、どんな人であったろう。そんな事を考えている中に、白髪の老人が職人尽にあるような装をして、一心に仮面を彫っている姿が眼に泛ぶ。頼家の姿が浮ぶ。修禅寺の僧が泛ぶ……というような順序で、漸々に筋を纏めて行く中に、二人の娘や婿が自然に現われる事になったのです。しかし作の上では、面作師の夜叉王と姉娘の桂とが、最も主要の人物として働いて、頼家は二の次になってしまいました。
 そんな訳ですから、全部架空の事実で、頼家の仮面……ただそれだけが捉え所で、他には何の根拠もないのです。この仮面一個が中心となって、芸術本位の親父や、虚栄心に富んだ近代式の娘などが作り出される事になったので……狂言の種を明せばそれだけです。頼家の最期は故と蔭にしました。
 仮面の事は私もよく知りませんが、藤原時代から鎌倉時代にかけて、十人の名人があって、世にこれを十作と唱えます。夜叉…

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