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郊外生活の一年
こうがいせいかつのいちねん |
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作品ID | 49550 |
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副題 | 大久保にて おおくぼにて |
著者 | 岡本 綺堂 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「岡本綺堂随筆集」 岩波文庫、岩波書店 2007(平成19)年10月16日 |
初出 | 「読売新聞」1925(大正14)年6月1日 |
入力者 | 川山隆 |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2008-12-26 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 8 ページ(500字/頁で計算) |
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震災以来、諸方を流転して、おちつかない日を送ること一年九ヵ月で、月並の文句ではあるが光陰流水の感に堪えない。大久保へ流れ込んで来たのは去年の三月で、もう一年以上になる。東京市内に生まれて、東京市内に生活して、郊外というところは友人の家をたずねるか、あるいは春秋の天気のいい日に散歩にでも出かける所であると思っていた者が、測らずも郊外生活一年の経験を積むことを得たのは、これも震災の賜物といっていいかも知れない。勿論、その賜物に対してかなりの高価を支払ってはいるが……。
はじめてここへ移って来たのは、三月の春寒がまだ去りやらない頃で、その月末の二十五、二十六、二十七の三日間は毎日つづいて寒い雨が降った。二十八日も朝から陰って、ときどきに雪を飛ばした。わたしの家の裏庭から北に見渡される戸山が原には、春らしい青い色はちっとも見えなかった。尾州侯の山荘以来の遺物かと思われる古木が、なんの風情もなしに大きい枯枝を突き出しているのと、陸軍科学研究所の四角張った赤煉瓦の建築と、東洋製菓会社の工場に聳えている大煙突と、風の吹く日には原一面に白く巻きあがる砂煙と、これだけの道具を列べただけでも大抵は想像が付くであろう、実に荒凉索莫、わたしは遠い昔にさまよい歩いた満洲の冬を思い出して、今年の春の寒さが一としお身にしみるように感じた。
「郊外はいやですね」と、市内に住み馴れている家内の女たちはいった。
「むむ。どうも思ったほどに好くないな」と、わたしも少しく顔をしかめた。
省線電車や貨物列車のひびきも愉快ではなかった。陸軍の射的場のひびきも随分騒がしかった。戸山が原で夜間演習のときは、小銃を乱射するにも驚かされた。湯屋の遠いことや、買物の不便なことや、一々かぞえ立てたら色々あるので、わたしもここまで引込んで来たのを悔むような気にもなったが、馴れたらどうにかなるだろうと思っているうちに、郊外にも四月の春が来て、庭にある桜の大木二本が満開になった。枝は低い生垣を越えて往来へ高く突き出しているので、外から遠く見あげると、その花の下かげに小さく横たわっている私の家は絵のようにみえた。戸山が原にも春の草が萠え出して、その青々とした原の上に、市内ではこのごろ滅多に見られない大きい鳶が悠々と高く舞っていた。
「郊外も悪くないな」と、わたしはまた思い直した。
五月になると、大久保名物の躑躅の色がここら一円を俄に明るくした。躑躅園は一軒も残っていないが、今もその名所のなごりを留めて、少しでも庭のあるところに躑躅の花を見ないことはない。元来の地味がこの花に適しているのであろうが、大きい木にも小さい株にも皆めざましい花を着けていた。わたしの庭にも紅白は勿論、むらさきや樺色の変り種も乱れて咲き出した。わたしは急に眼がさめたような心持になって、自分の庭のうちを散歩するばかりでなく、暇さえあれば近所をう…