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九月四日
くがつよっか |
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作品ID | 49553 |
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著者 | 岡本 綺堂 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「岡本綺堂随筆集」 岩波文庫、岩波書店 2007(平成19)年10月16日 |
入力者 | 川山隆 |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2008-12-22 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 5 ページ(500字/頁で計算) |
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久しぶりで麹町元園町の旧宅地附近へ行って見た。九月四日、この朔日には震災一週年の握り飯を食わされたので、きょうは他の用達しを兼ねてその焼跡を見て来たいような気になったのである。
旧宅地の管理は同町内のO氏に依頼してあるので、去年以来わたしは滅多に見廻ったこともない。区劃整理はなかなか捗取りそうもないので、わざわざ見廻りにゆく必要もないのである。それでも震災から満一ヵ年後の今日、その辺はどんなに変ったかという一種の興味に釣られて出てゆくと、麹町の電車通りはバラックながらも昔馴染の商店が建ちつづいている。多少は看板の変っているのもあるが、大抵は昔のままであるのも何となく嬉しかった。
しかもわたしの旧宅地附近は元来が住宅区域であったので、再築に取りかかった家は甚だ少い。筋向いのT氏は震災後まだ一月を経ないうちに、手早くバラックを建築してしまったので、これは勿論そのままに残っている。北隣のK氏は先頃から改築に着手して、これももう大抵は出来あがっている。わたしの横町附近でわたしの眼に這入ったものはこの二つの建物だけで、他はすべて茫々たる草原であるから、番町までが一目に見渡される。誰も草採りをする者もないので、名も知れない雑草は往来のまん中にまで遠慮なくはびこって、僅かに細い通路を残しているばかりであるが、それも半分は草に埋められて、路があるかないか判らない。誰がどこの土を運んで来て、なんのために積んだのか捨てたのか知らないが、そこらにはかつて見たこともない小さい丘のようなものが幾ヵ所も作られて、そこにも雑草がおどろに乱れている。まったく文字通りに荒凉たるありさまで、さながら武蔵野の縮図を見せられたようにも感じられた。
大かたこんなことであろうと予想してはいたものの、よくも思い切って荒れ果てたものである。夏草や兵者どもの夢の跡――わたしも芭蕉翁を気取って、しばらく黯然たらざるを得なかった。まことに月並の感想であるが、この場合そう感じるのほかはなかったのである。
隣にK氏の新しい建物が立っているので、わたしの旧宅地もすぐに見出されたが、さもなければ容易にその見当が付き兼ねて、路に迷った旅人のように、この草原のなかを空しくさまよっている事になったかも知れない。わたしは自分の脊よりも高い草をかき分けて、ともかくも旧宅のあとへ踏み込んでみると、平地であったはずのところがあるいは高く、あるいは低く、なんだか陥し穽でもありそうに思われて迂濶には歩かれない。わたしの庭に芒などは一株も栽えていなかったのであるが、どこから種を吹き寄せて来たものか、高い芒がむやみに生いしげって、薄白い穂を真昼の風になびかせているのも寂しかった。虫もしきりに鳴いている。白い蝶や赤い蜻蛉もみだれ合って飛んでいる。わたしはここで十年のあいだに色々の原稿を書きつづけた。ここから母と甥との葬式を出した。そ…