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銀座の朝
ぎんざのあさ
作品ID49554
著者岡本 綺堂
文字遣い新字新仮名
底本 「岡本綺堂随筆集」 岩波文庫、岩波書店
2007(平成19)年10月16日
初出「文芸倶楽部」1901(明治34)年7月号
入力者川山隆
校正者noriko saito
公開 / 更新2008-12-18 / 2014-09-21
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 夏の日の朝まだきに、瓜の皮、竹の皮、巻烟草の吸殻さては紙屑なんどの狼籍たるを踏みて、眠れる銀座の大通にたたずめば、ここが首府の中央かと疑わるるばかりに、一種荒凉の感を覚うれど、夜の衣の次第にうすくかつ剥げて、曙の光の東より開くと共に、万物皆生きて動き出ずるを見ん。
 車道と人道の境界に垂れたる幾株の柳は、今や夢より醒めたらんように、吹くともなき風にゆらぎ初めて、凉しき暁の露をほろほろと、飜せば、その葉かげに瞬目するかと見ゆる瓦斯灯の光の一つ消え、二つ消えてあさ霧絶え絶えの間より人の顔おぼろに覗かるる頃となれば、派出所の前にいかめしく佇立める、巡査の服の白きが先ず眼に立ちぬ。新ばしの袂に夜あかしの車夫が、寝の足らぬ眼を擦りつ驚くばかりの大欠して身を起せば、乞食か立ん坊かと見ゆる風体怪しの男が、酔えるように踉蹌き来りて、わが足下に転がりたる西瓜の皮をいくたびか見返りつつ行過ぎし後、とある小ぐらき路次の奥より、紙屑籠背負いたる十二、三の小僧が鷹のようなる眼を光らせて衝と出でぬ、罪のかげはこの児の上を掩えるように思われて、その行末の何とやらん心許なく物悲しく覚えらるるなり、早き牛乳配達と遅れたる新聞配達は、相前後して忙しげに人道を行違う、時はいま午前三時。
 築地海岸にむかえる空は仄白く薄紅くなりて、服部の大時計の針が今や五時を指すと読まるる頃には、眠れる街も次第に醒めて、何処ともなく聞ゆる人の声、物の音は朝の寂静を破りて、商家の小僧が短夜恨めしげに店の大戸がらがらと明れば、寝衣姿媚きてしどけなき若き娘が今朝の早起を誇顔に、露ふくめる朝顔の鉢二つ三つ軒下に持出でて眼の醒むるばかりに咲揃いたる紅白瑠璃の花を現ともなく見入れるさま、画に描ばやと思う図なり。あなたの二階の硝子窓おのずから明るくなれば、青簾の波紋うつ朝風に虫籠ゆらぎて、思い出したるように啼出す蟋蟀の一声、いずれも凉し。
 六時をすぎて七時となれば、見わたす街は再び昼の熱閙と繁劇に復りて、軒をつらねたる商家の店は都て大道に向って開かれぬ。狼籍たりし竹の皮も紙屑も何時の間にか掃去られて、水うちたる煉瓦の赤きが上に、青海波を描きたる箒目の痕清く、店の日除や、路ゆく人の浴衣や、見るもの悉く白きが中へ、紅き石竹や紫の桔梗を一荷に担げて売に来る、花売爺の笠の檐に旭日の光かがやきて、乾きもあえぬ花の露鮮やかに見らるるも嬉し。鉄道馬車は今より轟き初めて、朝詣の美人を乗せたる人力車が斜めに線路を横ぎるも危うく、活きたる小鰺うる魚商が盤台おもげに威勢よく走り来れば、月琴かかえたる法界節の二人連がきょうの収入を占いつつ急ぎ来て、北へ往くも南へ向うも、朝の人は都て希望と活気を帯びて動ける中に、小さき弁当箱携えて小走りに行く十七、八の娘、その風俗と色の蒼ざめたるとを見れば某活版所の女工なるべし、花は盛の今の年頃を日々の塵埃と煤にう…

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