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かたき討雑感
かたきうちざっかん
作品ID49556
著者岡本 綺堂
文字遣い新字新仮名
底本 「岡本綺堂随筆集」 岩波文庫、岩波書店
2007(平成19)年10月16日
初出「歌舞伎 臨時増刊号」1925(大正14)年9月
入力者川山隆
校正者noriko saito
公開 / 更新2008-12-26 / 2014-09-21
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     ◇

 わが国古来のいわゆる「かたき討」とか、「仇討」とかいうものは、勿論それが復讎を意味するのではあるが、単に復讎の目的を達しただけでは、かたき討とも仇討とも認められない。その手段として我が手ずから相手を殺さなければならない。他人の手をかりて相手をほろぼし、あるいは他の手段を以て相手を破滅させたのでは、完全なるかたき討や仇討とはいわれない。真向正面から相手を屠らずして、他の手段方法によって相手をほろぼすものは寧ろ卑怯として卑められるのである。
 これは我が国風でもあり、第一には武士道の感化でもあろうが、それだけに我がかたき討なるものが甚だ単調になるのは已むを得ない。なにしろ復讎の手段がただ一つしかないとなれば、それが単調となり、惹いて平凡浅薄となるのも自然の結果である。我がかたき討に深刻味を欠くのはそれがためであろう。かたき討といえば、どこかで相手をさがし出して、なんでも構わずに叩っ斬ってしまえばいい。ただそれだけのことが眼目では、今日の人間の興味を惹きそうもないように思われるので、わたしは今まで仇討の芝居というものを書いたことがなかった。
 この頃、この『歌舞伎』の誌上で拝見すると、木村錦花氏は大いにこのかたき討について研究していられるらしい。どうか在来の単調を破るような新しい題材を発見されることを望むのである。

     ◇

 わが国のかたき討なるものは、いつの代から始まったか判らないらしい。普通は曾我兄弟の仇討を以て記録にあらわれたる始めとしているようであるが、もしかの曾我兄弟を以てかたき討の元祖とするならば、寧ろ工藤祐経を以てその元祖としなければなるまい。工藤は親のかたきを討つつもりで、伊東祐親の父子を射させたのである。祐親を射損じて、せがれの祐安だけを射殺したというのが、そもそも曾我兄弟仇討の発端であるから、十郎五郎の兄弟よりも工藤の方が先手であるという理窟にもなる。
 それからまた、文治五年九月に奥州の泰衡がほろびると、その翌年、すなわち建久元年の二月に、泰衡の遺臣大河次郎重任(あるいは兼任という)が兵を出羽に挙げた。その宣言に、むかしから子が親のかたきを討ったのはある、しかも家来が主君の仇を報いたのはない。そこで、おれが初めて主君のかたき討をするのであるといっている。勿論かれは奥州の田舎侍で、世間のことを何にも知らず、勝手の熱を吹いているのであるが、建久元年といえば曾我兄弟の復讎以前――曾我の復讎は建久四年――である。その当時の彼が昔から親のかたきを討った者はあると公言しているのを見ると、曾我兄弟以前にもその種のかたき討はいくらもあったらしい。家来のかたき討も大河次郎が始めではない。
 いずれにしても、昔のかたき討は一種の暗殺か、あるいは吊合戦といったようなもので、それがいわゆる「かたき討」の形式となって現れて来たのは、元亀天正…

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