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平ヶ岳登攀記
ひらがたけとうはんき |
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作品ID | 49578 |
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著者 | 高頭 仁兵衛 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「山の旅 明治・大正篇」 岩波文庫、岩波書店 2003(平成15)年9月17日 |
初出 | 「山岳 一〇の三」1916(大正5)年5月 |
入力者 | 川山隆 |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2010-03-18 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 28 ページ(500字/頁で計算) |
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平ヶ岳と鶴ヶ岳
平ヶ岳の記事は従来刊行された地理書には絶無であるから、極めて僭越でかつは大袈裟のようではあるが、自分を主としたこの山の記録とでもいうような事と、自分がこの山に興味を持って、数回の失敗を重ねて、ようやく登攀を試みた筋道を一通り陳べて見ようと思う。
今から十五、六年前に、自分が小出町へ遊びに行った時に、三魚沼は深山地であるが、何という山が一番に高いかと、郡役所の書記をしておられた小島という人に聞くと、先年参謀本部の役人が調査されて、鶴ヶ岳という山が第一だと申されたと咄してくれた、これが自分が鶴ヶ岳と呼ぶ山が、自分の住居している国に存在しているという事を知った初めであって、何んとなく気持よく自分の耳に響いた、地図を見ると輯製二十万分一図の日光図幅にも、地質調査所の四十万分一予察図にも明記してあるが、いずれも標高を記してない、しかし三魚沼の最高峰とすると、吾が北越の山岳中でもかなり高いものとなるから、二、三年の中には是非に登攀してみようと考えた。
帰宅すると大急ぎで地質調査所の二十万分一詳図の日光図幅を出して見た、鶴ヶ岳の高さと登山口を物色する意であった、ところがこの図には鶴ヶ岳の名が載せてない、予察図の鶴ヶ岳の辺と想わるる所に、平岳 2170 というのが記してある、自分は平岳と鶴ヶ岳というのは、同山異名であって、越後では鶴ヶ岳と呼んでいて、上州方面では平岳と称するのであるまいかと想うて、『越後名寄』、『新編会津風土記』、『日本地誌提要』、『大日本地名辞書』などを漁って見たが、二山の記事は勿論のこと、いずれの山名さえも見出すことが出来なかったが、自分は心中ではこの二山を同山異名と臆断していた。
その時から鶴ヶ岳は好い名称だと思った、日本で鶴の字を山岳名としてあるのには、九州で有名な鶴見山をはじめ、鶴峠、鶴巻山、鶴根山、鶴飼山、鶴ノ子山、鶴谷山、鶴城山、鶴掛山、鶴木山などがあるが、鶴ヶ岳の名が最も雄大で高潔で響きがよいように思う、平岳は名称としては感心もしないが、頂上が平坦であるから名づけられたらしく想像される、いずれにしても中越の傑物らしい気持がしてならない、自分はその折にはヒラダケと呼ぶのやら、またはタイラダケと称するのやも知らなかった。
それから俗事に妨げられて二、三年を過ぎた、間もなく山岳会が設立された、自分は二度ほどこの山の登攀を思い立って、その登山口と想わるる北魚沼郡の湯谷村や、南魚沼郡の六日町方面や、上州利根郡の藤原村へ照会して見たが要領を得ない、明治四十一年の五月に、東京から清水峠を踰えて帰国した時に、藤原村の入口の湯檜曾温泉でいろいろ聞いて見たが、平岳だの鶴ヶ岳だのという山は聞いた事がないというている、その中に魚沼地方の人々が主となって銀山平(後に記す)の開墾事業を起されて、自分の知己であって隣村である高橋九郎氏が…