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白峰の麓
しらねのふもと |
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作品ID | 49581 |
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著者 | 大下 藤次郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「山の旅 明治・大正篇」 岩波文庫、岩波書店 2003(平成15)年9月17日 |
初出 | 「みずゑ」1910(明治43)年5月 |
入力者 | 川山隆 |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2010-03-12 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 45 ページ(500字/頁で計算) |
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一
小島烏水氏は甲斐の白峰を世に紹介した率先者である。私は雑誌『山岳』によって烏水氏の白峰に関する記述を見、その山の空と相咬む波状の輪廓、朝日をうけては紅に、夕日に映えてはオレンジに、かつ暮刻々その色を変えてゆく純潔なる高峰の雪を想うて、いつかはその峰に近づいて、その威厳ある形、その麗美なる色彩を、わが画幀に捉うべく、絶えず機会をうかがっていた。
私が白峰連嶺を初めて見たのは、四十一年の秋、甲州山中湖に遊んだおりで、宿雨のようやく霽れたあした、湖を巡りて東の岸に立った時、地平線上、低く西北に連なる雪の山を見た。白峰! と思ったが、まだ疑いはある。ポケットから地図を出す、磁石を出す、そして初めて白峰! と叫んだ。今自分の立っているところからはよく見えぬ。私は岸を東へ東へと走った、やがて道は尽きた、崖と水とは相接して足がかりは僅かに数寸、私は辛うじてそこをも通った。岩を伝わった。樹根に縋った。こうして往けるだけ往った。そしてささやかなる平地に三脚を据えて、山中の湖に浮べる如きなつかしき白峰の一部を写したことがあった。
翌年の三月某日、これも雨後の朝、鎌倉にゆく途中、六郷鉄橋の辺から、再び玲瓏たる姿に接した。描きたい、描きたいという念は、いっそう深くなった。
白峰を写すには何処がよかろう、十重二十重山は深い。富士のように何処からも見えるというわけにはゆかぬ。地図を調べ人にもきいた。近く見るには西山峠、遠く見るには笹子峠、この二つが一番よいようである。私は五月某日、終に笹子に向った。
初鹿野で汽車を下りて、駅前の哀れな宿屋に二晩泊ったが、折あしく雨が続くのでそこを去った。そしてその夕、甲府を経て右左口にゆく途中で、乱雲の間から北岳の一角を見て胸の透くのを覚えた。
翌日は右左口峠を登りつつ、雲の間から連峰の一部をちらちら見た。峠の上では急いでスケッチもした。女阪峠を上る時も片鱗はいく度も見たが、全形を眺むることは出来なかった。
精進を過ぎ本栖を発足って駿甲の境なる割石峠の辺から白峰が見える。霞たつ暖い日で、山は空と溶け合うて、ややともすればその輪廓を見失うほど、杳かに、そして幽かなものであった。
二
甲州西山は、白峰の前岳で、早川の東、富士川の西に介在せる、五、六千尺の一帯の山脈である。この峠に立ったなら、白峰は指呼の間に見えよう、信州徳本峠から穂高山を見るように、目睫の間にその鮮かな姿に接することが出来ないまでも、日野春から駒ヶ岳に対するほどの眺めはあろう。早川渓谷の秋も美しかろう。湯島の温泉も愉快であろう。西山へ、西山へ、画板に紙を貼る時も、新しく絵具を求むる時も、夜ごとの夢も、まだ見ぬ西山の景色や白峰の雪に想いを馳せていた。
東京を発足ったのは十一月一日、少し霧のある朝で、西の空には月が懸っていた。中野あたりの麦畑…