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穂高岳槍ヶ岳縦走記
ほだかだけやりがたけじゅうそうき
作品ID49582
著者鵜殿 正雄
文字遣い新字新仮名
底本 「山の旅 明治・大正篇」 岩波文庫、岩波書店
2003(平成15)年9月17日
初出「山岳 五の一」1910(明治43)年3月
入力者川山隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-03-21 / 2014-09-21
長さの目安約 18 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

    一 神秘の霊峰

 信飛の国界に方りて、御嶽・乗鞍・穂高・槍の四喬岳のある事は、何人も首肯する処、だが槍・穂高間には、なお一万尺以上の高峰が沢山群立している、という事を知っている者は稀である。で折もあらばこの神秘の霊域を探検して世に紹介しようと思うていた。幸い四十二年八月十二日正午、上高地の仙境に入門するの栄を得た。
 当時、この連峰の消息を知っている案内者は、嘉門次父子の他にはあるまいと思って、温泉の主人に尋ねると皆おらぬ、丁度そこに類蔵がいたので話して見たが、通れぬという。三時頃嘉門次の伜嘉与吉が来たからこの案内を頼む、彼は都合上島々に行って来ると言って、十五日を登山日と定める、二日間滞在中穂高行の同志が四名増して一行五名。
 十四日嘉与吉が来た、彼は脚気で足が痛むというので、途中宮川の小屋に立ち寄り、親父に代ってもらう事に話して来たゆえ、明朝父の居を尋ねて行かるれば、小屋からすぐ間道を案内するという。よろしい、実際痛いものなら仕方がない、嘉門次ならなお詳かろうとそう決めた。

    二 穂高岳東口道

 十五日前三時、起て見ると晴、先ずこの様子なら降りではなかろう、主人の注意と下婢の働きで、それぞれの準備を終り、穂高よりすぐ下山する者のためにとて、特に案内者一名を傭い、午前の四時、まだ昧いうち、提灯を便りての出発。梓川の右岸に沿い、数丁登って河童橋を渡り、坦道を一里ばかり行くと、徳合の小屋、左に折れ川を越えて、少々下れば、穂高仙人、嘉門次の住居、方二間余、屋根・四壁等皆板張り、この辺の山小屋としてはかなりの作り、檐端に近き小畠の大根は、立派に出来ている、東は宮川池に注ぐ一条の清流。嘉門次は炉辺で火を焚きながら縄を綯うている、どうも登山の支度をしてはいないらしい、何だか訝しく思うて聞いて見ると、穂高の案内なら昨夜の中に伝えて下さればよかった、と快く承知し、支度もそこそこ、飯をかっこみ、四十分ばかりで出発した。時に前五時四十分。
 嘉門次は、今年六十三歳だ、が三貫目余の荷物を負うて先登する様は、壮者と少しも変りはない。梓川の右手、ウバニレ、カワヤナギ、落葉松、モミ、ツガ等の下を潜り、五、六丁行き、左に曲がると水なき小谷、斑岩の大塊を踏み、フキ、ヨモギ、イタドリ、クマザサの茂れる中を押し分けて登る。いかにも、人間の通った道らしくない。大雨の折りに流下する水道か、熊や羚羊どもの通う道だろう。喬木では、ツガ、モミ、シラベ、カツラ、サワグルミ、ニレ等混生している。登るに従い、小谷が幾条にも分れる。気をつけていぬと、わからぬほど浅い、が最初の鞍部に出るまでは、右へ右へと取って行けば、道を誤る事はあるまい。この鞍部の前面は、小柴が密生している、山麓では緑色の毛氈を敷いたように見えるから、よく方位を見定めておくとよい。海抜約二千米突以上は、雑木次第に減じ、ミヤ…

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