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![]() ひとこおりのシャスタさん |
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作品ID | 49585 |
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著者 | 小島 烏水 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「山の旅 明治・大正篇」 岩波文庫、岩波書店 2003(平成15)年9月17日 |
初出 | 「改造」1929(昭和4)年7月 |
入力者 | 川山隆 |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2010-03-18 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 17 ページ(500字/頁で計算) |
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山仲間から、アメリカで好きな山は何か、と聞かれると、一番先きに頭に浮ぶのは、シャスタ山である。がそれは必ずしも、好きであるからではない、位置が南に偏り過ぎて、雪が早く融けるし、氷河は小ッぽけな塊に過ぎないし、富士山のように、新火山岩で、砂礫や岩石が崩れ易いので、高山植物は稀薄であるし、「好き」になるところまでは行かないが、それでも、最も多く心を惹かれる山である。何故というに、キャリフォルニアからオレゴン州への、境近い街道に、山が聳えて、複式二重の成層火山、シャスタとシャスチナと、二人の容姿端麗なる姉妹が、見る角度に依っては、並んで手を繋ぎ合ってもいるし、また背中合せに丈くらべをしているようでもあり、何となく人懐かしい山に見えるからである。その麓を汽車が通っていることは、丁度富士山の裾を、御殿場から佐野(今は「裾野」駅)、三島、沼津と、廻って行くようで、しかも東海道が古くからの宿駅であるように、シャスタ山麓の村落も、街道も、一八四八年以後の、米国西海岸への移民時代には、ある時には、印度人と白人とが必死になって闘ったり、殊に一八五一年、シャスタ山から、三十五哩離れたワイレカというところに、金鉱が発見されてからは、成金を夢見る山師たちが、鶴嘴をかついで、ほうほうたる髯面を炎熱に晒して、野鼠の群のように通行したところで、今では御伽話か、英雄譚の古い舞台になっている。かつて桑港の古本屋で見たその頃の石版画に、シャスタ火山が、虚空に抛げられた白炎のように、盛り上っている下を、二頭立ちの箱馬車が、のろくさと這いずって、箱の中には、旅の家族とおぼしい女交りの一連が、窮窟そうにギッシリ詰まっているが、屋根の上にはチョッキ一枚になって、シガアを燻らしている荒くれ男たちが、不行儀に、臀や脛をむき出しに、寝そべっているところを描いたのがあったが、延んびりとした大陸性の、高原に引く一筋路を、澄み切った大空の下に、おそらく、ガタピシと石ころに蹴つまずきながら、走って行く一台の馬車は、漂泊の姿そのもののように、一抹の旅愁を引くのに充分であった。
それは、カウボーイの土地である。未だ草分け時代の空気が、澱んでいる。石と打つかっても、林に這入っても、人と自然が肉迫するときのいきりが立っている。そのすべてを超越して、美しいものは、この山の隆々たる肉塊である。新火山のことだから、土の締まりは、しッくりしていない、むしろ危ッかしいほど、柔脆の肉つきではあるが、楽焼の陶器のような、粗朴な釉薬を、うッすり刷いた赤る味と、火力の衰えた痕のほてりを残して、内へ内へと熱を含むほど、外へ外へと迫って来る力が、十方無障碍に放射することを感ずる。絶頂の火口は、今こそ休火山ではあるが、烈々と美を噴く熔炉になっている。その美の泉を結晶したものは、絶頂から胸壁へと、こびりついているところの、氷河である。汽車の窓から…