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落葉降る下にて
おちばふるしたにて
作品ID49628
著者高浜 虚子
文字遣い新字旧仮名
底本 「近代浪漫派文庫 7 正岡子規 高浜虚子」 新学社
2006(平成18)年9月11日第1刷
入力者門田裕志
校正者高瀬竜一
公開 / 更新2017-05-27 / 2017-03-11
長さの目安約 24 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私は今或る温泉に来て居る。此の温泉には二十年程前に一度来たことがある。其れは或る大病をした揚句であつて、其の時は医者から一度見放された位であつたのが幸いに快方に向つて、其の恢復期を此の温泉で過ごしたのであつた。二十年程前といふとまだ私は二十を沢山越してゐなかつたので、私は早婚ではあつたが、其の頃はまだ乳呑児が一人ある位のものであつた。
 其の頃私はこゝの温泉につかりながら心は歓喜に充ちてゐた。すんでの事で死ぬるのであつたのが命をとりとめた、といふ喜びは喩へるにものが無かつた。私は毎日何をするといふ事無く、唯ぼんやりと温泉につかつて、洋々たる春のやうな前途を自分で祝福してゐた。家庭には漸く此の頃片言交りに喋り出した子供を抱いて若い妻は私の帰るのを待つてゐたし、其の頃私のやりかけて居つた事業も予想したよりは都合よく運びかけてゐたので、其れも此の際一発展すべく私の帰京を待つてゐるやうな始末であつた。此の際半月や一月帰るのが遅れたところで家庭の方も仕事の方もさうたいした不都合があるといふでは無し、其れよりも十二分に健康を恢復して、今後素晴らしい活動をせなければならぬといふやうな、何事につけても前途にのみ希望を繋いだ心の張りを持つて悠悠と此の温泉に漬つてゐたことを私は稍々古い昔の事のやうに思ひ出すのである。十年や二十年昔の事でも、恰も昨日の事のやうに思ふといふのが世間の常であるが、私はどういふものだか、其れが十年や二十年よりも、もつと古い事のやうに思ふのである。今此の宿に来て見ると、矢張り温泉は昔の通りの温泉、庭の大木は昔の通りの大木、裏を流るゝ川は昔の通りの川、周囲を取囲んでゐる山も昔の通りの山、温泉客を此処に運んで来る乗合馬車のラツパの響さへ昔の通りの響である。が、其れでゐて、其の二十年前の事を思ひ出して見ると、其れはもう古い/\昔の事のやうに思はれて、何だか違つた世の中の出来事のやうな心持さへするのである。隔世の感といふのは大方斯ういふ心持をいふのであらう。
 今度来た私は鞄に一杯詰め込んで来た仕事の事のみを気にしてゐるのである。今の私に前途といふやうなものがあるであらうか。考へて見れば無いことも無いやうであるが、其れを考へてゐるよりも目の前に迫つて来てゐる仕事の方が強く自分を圧迫して来て、唯其れにのみあくせくしてゐるのである。此の宿の一間に陣取つて、此処で愈々若干日を過ごすことゝ極めた時も第一其の山の形も水の形も余り眼に入らなかつた。唯私の眼の前には仕事を詰め込んだ鞄が聳えてゐる許りであつた。
 同じ温泉を浴びながらも私は昔の心持を呼び起こさうとさへ思はなかつた。あの頃唯一人の乳呑児を抱へてゐた妻も今はもう六人の子持ちである。もう皮膚にも光沢が無くなり髪の毛も薄くなつた中婆さんである。其の頃緒につきかけて有望なるものゝ如く思はれてゐた事業はどうであつたか、幾…

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