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進むべき俳句の道
すすむべきはいくのみち
作品ID49629
著者高浜 虚子
文字遣い新字旧仮名
底本 「近代浪漫派文庫 7 正岡子規 高浜虚子」 新学社
2006(平成18)年9月11日第1刷
入力者門田裕志
校正者高瀬竜一
公開 / 更新2017-04-08 / 2017-03-11
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

=雑詠詠=

緒言

 こゝに雑詠といふのは明治四十一年十月発行の第十二巻第一号より四十二年七月一日発行の第十二巻第十号に至るホトトギス掲載の「雑詠」並に、明治四十五年七月一日発行の第十五巻第十号より大正四年三月発行の第十八巻第六号に至るホトトギス掲載の「雑詠」を指すのである。
 第一期の雑詠即ち明治四十一年十月以降一年足ずの間の雑詠は期間も短く且つ句数も極めて少なかつた。けれども当時私は此の雑詠の選によつて我等の進んで行く新らしい道を徐ろに開拓して行かうと考へたのであつた。
高山と荒海の間炉を開く
といふやうな句にぶつゝかつた時私の心が躍つて暫く止まなかつた事は今でもよく覚えて居る。其を何故途中で廃止したかといふに、当時私は専ら写生文に努力して、どうか此の遣り掛けの仕事を、完成と迄は行かずとも、或点迄推し進めて見度いと志して其方に没頭した為めに、自然俳句には遠ざからねばならぬ羽目になつたのであつた。片手間でも雑詠の選位は出来ぬことはあるまい、との批難もあつたけれども、選出する句こそ少数なれ投句数は一万にも近いのであつたから其を片手間仕事にどうするといふことも出来ぬので残念であつたけれども断然其を廃止し且つ其を機会として俳句の事には一切手を出さぬことにしたのであつた。
 其から丁度三年間といふもの私は全く俳句界から手を引いて、所謂見ざる聞かざる言はざる三猿主義を極め込んでゐたのであつたが、其間に私が当初の希望通り小説(写生文)に熱衷することが出来たのは初めの二年間許りであつて、あとの一年になつてからふと健康を損じなか/\思ふやうには筆が取れぬことになつてしまつた。
 私は「病院に這入らうか遊ばうか」と自ら質問して「遊ばう」と自答した。其から凡そ一年間何もせずに遊びながら心は再び俳句の上に戻つて、病床に鎌倉、戸塚辺の俳人数氏を招いて久しぶりに句作したのも其頃であつた。さうして聞くとも無しに聞く俳句界の消息は私をして黙止するに忍びざらしめるものがあつた。其処で又たホトトギス紙上に俳句に対する短い所感を並べ始め、同時に曾て一度志して果たさなかつた雑詠を再興して、最初の希望通り、私等の進むべき新らしき道を実際的に見出して行かうとしたのであつた。
 私が明治四十五年七月一日発行の第十五巻第十号紙上に初めて第二期の雑詠を発表して次の如きことを言つたことは読者の記憶に新たなるところであらう。
第一回雑詠選を終りたる後ちの所感を申し候へば、調子の晦渋なるものは概ね興味を感ぜず、平明なるものは多く陳腐の譏を免れざりしといふに帰着致候。今回選せし二十四句と雖も清新といふ点よりいへば慊らざるもの多く候。
 当時の心持を回想して今少し率直に言へば、私は実に悪句拙句の充満してゐるのに驚いたのであつた。殊に新傾向かぶれの晦渋を極めた句の多いのと、偶[#挿絵]旧態を墨守してゐる人の句は生…

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