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椿子物語
つばきこものがたり |
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作品ID | 49630 |
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著者 | 高浜 虚子 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「近代浪漫派文庫 7 正岡子規 高浜虚子」 新学社 2006(平成18)年9月11日 |
初出 | 「中央公論」中央公論社、1951(昭和26)年6月 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 高瀬竜一 |
公開 / 更新 | 2017-04-08 / 2017-03-19 |
長さの目安 | 約 20 ページ(500字/頁で計算) |
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上
私は鎌倉の俳小屋の椅子に腰をかけて庭を眺めてゐた。
俳小屋といふのは私の書斎の名前である。もとは子供の部屋であつて、小諸に疎開して居る時分は物置になつてゐて、ろくに掃除もせず、乱雑に物を置いたまゝになつてゐた。三年越しに小諸から帰つて来た時に、そこを片附けて机を置いて仮りの書斎とした。積んであるものは俳書ばかりで、それが乱雑に置いてあり、その他には俳句に関する反古が又山と積み重ねてある。私は小諸でも自分の書斎にしてゐる処を俳小屋と呼んでゐたが、矢張りこゝも同じ名称で呼ぶことにした。
俳小屋の前の庭も矢張り乱雑にいろんな草木があるのである。それも特別に植ゑたといふものは少ないのであつて、四十年間此処に住つてゐる間に、風が運んで来た種子とか、小鳥が糞と共に落して行つた種子とかいふものが自然に生えて、狭い庭のわりには草木の多い方である。植木屋に言はしたら、まつたく型をなさない乱雑な庭といふであらう。併し多年見馴れた目には、その一草一木にも何かと思ひ出があつて棄て難いものがあるのである。殊に椿の木が多く、それが赤い花をつけてゐるのが目を惹くのである。
此の椿はどういふ種類に属するのか知らないけれども普通山椿と呼んでゐるもので真赤な花を夥だしくつけるのである。中には八重なのもあるが単弁なのが多い。花は天辺から根元に至るまで椿全体を押し包んでゐるやうに咲き満ちて、盛りになると、殆ど他の木は目に入らないやうに此の赤い椿が庭を独占してゐるのである。
私は椅子に腰を掛けて、此の赤い椿の花を眺めてゐた。心はいつか旅路をさまよつて居るやうな感じになつた。其の旅路といふのは東海道とか中仙道とかいふのではないのであつて、自由自在に動いて行つて、とりとめもなく天地をさまよふ、といふやうな感じであつた。さうして此の赤い椿は私を取り囲んだ女の群になつて、いつも身辺に付き添ふてゐるやうな感じであつた。
実は私は、もう老年になつて、此の頃は独り歩きを家人からとめられてゐる。私自身にしても、少し道が登りになると脚がだるくなつて来るし、又いそいで歩くやうな時は脹脛が硬ばつてしまふのであるから、車馬の通行の劇しい所を歩く時などは危険だと感じるのである。それでも家人が極端に独り歩きを禁じるのは少し行き過ぎのやうに思つて居る。が、まあ/\それもよからうと考へて、家人の言ふが儘にしてゐる。
今此処に腰を掛けて、赤い椿の花に埋もれて、じつとその花を見つめて居ると、いつか浮雲にでも乗つてゐるやうな心持になつて、自分は自由自在に心の欲する処に行く事が出来、足は軽やかに空中を踏んで歩き廻ることが出来るやうな幻覚を覚えるのであつた。
そんな空想に浸つて居る時は非常に心は楽しいのであつて、子供がお伽噺を聞いて楽しんでゐるやうな快感を覚えるのである。
造花また赤を好むや赤椿
小説に書く…