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一夕
いっせき |
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作品ID | 49632 |
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著者 | 永井 荷風 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「荷風随筆集(下)〔全2冊〕」 岩波文庫、岩波書店 1986(昭和61)年11月17日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 阿部哲也 |
公開 / 更新 | 2010-04-11 / 2021-02-04 |
長さの目安 | 約 6 ページ(500字/頁で計算) |
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一 小説家二、三人打寄りて四方山の話したりし時一人のいひけるはおよそ芸術を業とするものの中にて我国当世の小説家ほど気の毒なるはなし。それもなまじ西洋文学なぞうかがひて新しきを売物にせしものこそ哀れは露のひぬ間の朝顔、路ばたの槿の花にもまさりたれ。もし画家たりとせんか梅花を描きて一度名を得んには終生唯梅花をのみ描くも更に飽かるる虞なし。年老いて筆力つかるれば看るものかへつて俗を脱したりとなし声価いよいよ昂るべし。俳優には市川家十八番の如きお株といふものあり。演ずる事たびたびなれば、観客ますます喜びてために新作を顧るの暇なきに至らしむ。音曲家について見るもまた然らずや。聴衆の音曲家に望んで常に聴かんと欲する処はその人によりて既に幾回となく聴馴れしもの。即荒木古童が『残月』、今井慶松が『新曲晒し[#「新曲晒し」は底本では「新曲洒し」]』、朝太夫が『お俊伝兵衛』、紫朝が『鈴ヶ森』の類これなり。神田伯山扇を叩けば聴客『清水の治郎長』をやれと叫び、小さん高座に上るや『睨み返し』『鍋焼うどん』を願ひますとの声頻にかかる。小説家の新作を出すや批評家なるものあつて何々先生が新作例によつて例の如しといへば読者忽ちそんなら別に読むには及ぶまじとて手にせず。画工俳優音曲の諸芸家例によつて例の如くなれば益よし。小説家例によつて例の如くなれば文運ここに尽く。小説家を以て世に立たんことまことに難し。
一 詩歌小説は創意を主とし技巧を賓とす。技芸は熟錬を主として創意を賓とす。詩歌小説の作措辞老練に過ぎて創意乏しければ軽浮となる。然れどもいまだ全く排棄すべきに非らず。演技をなすもの紊に創意する処を示さんとしてその手これに伴はざれば全く取るなきに了る。翻訳劇を演ずる俳優の技芸の如き、あるひはまた公設展覧会の賞牌を獲んとする画家の新作の如き即ちこれなり。
一 角力取老後を養ふに年寄の株あり。もし四本柱に坐する事を得ばこれ終を全くするもの。一身の幸福これより大なるはなけん。小説家その筆漸く意の如くならずその作また世に迎へられざるを知るや転じて批評の筆を取り他人の作を是非してお茶を濁す。事は四本柱の監査役と相同じくしてその実は然らず。一は退いて権威いよいよ強く一は転じて全くその面目を失ふ。
一 われら折々人に問はるる事あり。先生いつまで小説をかくおつもりなるや。よく根気がつづくものなりよく種がつきぬものなりと。これお世辞なるや冷嘲なるや我知らず。およそ小説と称するものその高尚難解なると通俗平易なるとの別なく共に世態人情の観察細微を極むるものなからざるべからず。高遠なる理想を主とする著作時として全く架空の事件を綴るものあるが如しといへども、行文の中自ら作者の人間世間に対する観察の歴然として窺ふべきものあり。されば作者老いて世事に倦みただ青山白雲を友としたきやうの考起り来れば文才の有無にかかはらず、小説…