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伝通院
でんずういん
作品ID49653
著者永井 荷風
文字遣い新字新仮名
底本 「荷風随筆集(上)」 岩波文庫、岩波書店
1986(昭和61)年9月16日
入力者門田裕志
校正者阿部哲也
公開 / 更新2010-05-05 / 2019-12-12
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 われわれはいかにするともおのれの生れ落ちた浮世の片隅を忘れる事は出来まい。
 もしそれが賑な都会の中央であったならば、われわれは無限の光栄に包まれ感謝の涙にその眼を曇らして、一国の繁華を代表する偉大の背景を打目戍るであろう。もしまたそれが見る影もない痩村の端れであったなら、われわれはかえって底知れぬ懐しさと同時に悲しさ愛らしさを感ずるであろう。
 進む時間は一瞬ごとに追憶の甘さを添えて行く。私は都会の北方を限る小石川の丘陵をば一年一年に恋いしく思返す。
 十二、三の頃まで私は自分の生れ落ちたこの丘陵を去らなかった。その頃の私には知る由もない何かの事情で、父は小石川の邸宅を売払って飯田町に家を借り、それから丁度日清戦争の始まる頃には更に一番町へ引移った。今の大久保に地面を買われたのはずっと後の事である。
 私は飯田町や一番町やまたは新しい大久保の家から、何かの用事で小石川の高台を通り過る折にはまだ二十歳にもならぬ学生の裏若い心の底にも、何とはなく、いわば興亡常なき支那の歴代史を通読した時のような淋しく物哀れに夢見る如き心持を覚えるのであった。殊に自分が呱々の声を上げた旧宅の門前を過ぎ、その細密い枝振りの一条一条にまでちゃんと見覚えのある植込の梢を越して屋敷の屋根を窺い見る時、私は父の名札の後に見知らぬ人の名が掲げられたばかりに、もう一足も門の中に進入る事ができなくなったのかと思うと、なお更にもう一度あの悪戯書で塗り尽された部屋の壁、その窓下へ掘った金魚の池なぞあらゆる稚時の古跡が尋ねて見たく、現在其処に住んでいる新しい主人の事を心憎く思わねばならなかった。
 私の住んでいる時分から家は随分古かった。それ故、間もなく新しい主人は門の塀まで改築してしまった事を私は知っている。乃ち私の稚時の古跡はもう影も形もなくこの浮世からは湮滅してしまったのだ……

        *

 寺院と称する大きな美術の製作は偉大な力を以てその所在の土地に動しがたい或る特色を生ぜしめる。巴里にノオトル・ダアムがある。浅草に観音堂がある。それと同じように、私の生れた小石川をば(少くとも私の心だけには)あくまで小石川らしく思わせ、他の町からこの一区域を差別させるものはあの伝通院である。滅びた江戸時代には芝の増上寺、上野の寛永寺と相対して大江戸の三霊山と仰がれたあの伝通院である。
 伝通院の古刹は地勢から見ても小石川という高台の絶頂でありまた中心点であろう。小石川の高台はその源を関口の滝に発する江戸川に南側の麓を洗わせ、水道端から登る幾筋の急な坂によって次第次第に伝通院の方へと高くなっている。東の方は本郷と相対して富坂をひかえ、北は氷川の森を望んで極楽水へと下って行き、西は丘陵の延長が鐘の音で名高い目白台から、『忠臣蔵』で知らぬものはない高田の馬場へと続いている。
 この地勢と同じように、…

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