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夏の町
なつのまち |
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作品ID | 49656 |
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著者 | 永井 荷風 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「荷風随筆集(上)」 岩波文庫、岩波書店 1986(昭和61)年9月16日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 阿部哲也 |
公開 / 更新 | 2010-07-06 / 2019-12-12 |
長さの目安 | 約 20 ページ(500字/頁で計算) |
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一
枇杷の実は熟して百合の花は既に散り、昼も蚊の鳴く植込の蔭には、七度も色を変えるという盛りの長い紫陽花の花さえ早や萎れてしまった。梅雨が過ぎて盆芝居の興行も千秋楽に近づくと誰も彼も避暑に行く。郷里へ帰る。そして炎暑の明い寂寞が都会を占領する。
しかし自分は子供の時から、毎年の七、八月をば大概何処へも旅行せずに東京で費してしまうのが例であった。第一の理由は東京に生れた自分の身には何処へも行くべき郷里がないからである。第二には、両親は逗子とか箱根とかへ家中のものを連れて行くけれど、自分はその頃から文学とか音楽とかとにかく中学生の身としては監督者の眼を忍ばねばならぬ不正の娯楽に耽りたい必要から、留守番という体のいい名義の下に自ら辞退して夏三月をば両親の眼から遠ざかる事を無上の幸福としていたからである。
たしか中学を卒業する前の年の事かと記憶する。どういう訳か逗子へ半月ばかり行っていた時の事を半紙二帖ほどに書いたものが、今だに自分の手篋の底に保存されてある。成島柳北が仮名交りの文体をそのままに模倣したり剽窃したりした間々に漢詩の七言絶句を挿み、自叙体の主人公をば遊子とか小史とか名付けて、薄倖多病の才人が都門の栄華を外にして海辺の茅屋に松風を聴くという仮設的哀愁の生活をば、いかにも稚気を帯びた調子でかつ厭味らしく飾って書いてある。全篇の題は紅蓼白蘋録というので挿入した絶句の中には、
已見秋風上二白蘋一。 〔已に見る秋風 白蘋に上り
青衫又汚二馬蹄塵一。 青衫又た馬蹄の塵に汚る
月明今夜消魂客。 月明るく 今夜 消魂の客
昨日紅楼爛酔人。 昨日は紅楼に爛酔するの人
年来多病感二前因一。 年来 多病にして前因を感じ
旧恨纏綿夢不レ真。 旧恨 纏綿として夢真ならず
今夜水楼先得レ月。 今夜 水楼 先ず月を得て
清光偏照善愁人。 清光 偏えに照らす 善だ愁うの人〕
なぞいうのがあった。今日読返して見ると覚えず噴飯するほどである。わずか十四、五歳の少年が「昨日は紅楼に爛酔するの人」といっているに至っては、文字上の遊戯もまた驚くべきではないか。しかし自分は近頃十九世紀の最も正直なる告白の詩人だといわれたポオル・ヴェルレエヌの詳伝を読み、
Les sanglots longs
Des violons
De l'automne……
「秋の胡弓の長き咽び泣き」という彼の有名な La chanson d'automne(秋の歌)の一篇の如きはヴェルレエヌが高踏派の詩人として最も幸福なる時代の作で、その時分には妻もあり友達もあり一定の職業もあった事を伝記の著者から教えられた。して見ると、「過ぎし日の事思出でて泣く、」といったりあるいは末節の、「われは此処彼処にさまよう落葉」といったのはやはり詩人の Jenx d'esprit(心の遊戯)であっ…