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葡萄棚
ぶどうだな
作品ID49660
著者永井 荷風
文字遣い新字旧仮名
底本 「荷風随筆集(上)」 岩波文庫、岩波書店
1986(昭和61)年9月16日
入力者門田裕志
校正者阿部哲也
公開 / 更新2010-04-21 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 浅草公園の矢場銘酒屋のたぐひ近頃に至りて大方取払はれし由聞きつたへて誰なりしか好事の人の仔細らしく言ひけるは、かかるいぶせき処のさまこそ忘れやらぬ中絵にも文にもなして写し置くべきなれ。後に至らば天明時代の蒟蒻本とも相並びて風俗研究家の好資料ともなるべきにと。この言あるいは然らん。かの唐人孫綮が『北里志』また崔令欽が『教坊記』の如きいづれか才人一時の戯著ならざらんや。然るに千年の後、今なほ風流詩文をよろこぶもの必ずこれを一読せざるはなし。われさきに「大窪多与里」と題せし文中いささか浅草のことを記せり。その一節に曰く、
楊弓場の軒先に御神燈出すこといまだ御法度ならざりし頃には家名小さく書きたる店口の障子に時雨の夕なぞ榎の落葉する風情捨てがたきものにて※[#「候」のくずし字、161-10]ひき。その頃この辺の矢場の奥座敷に昼遊びせし時肱掛窓の側に置きたる盃洗の水にいかなるはづみにや屋根を蔽ふ老樹の梢を越して、夕日に染みたる空の色の映りたるを、いと不思議に打眺め※[#「候」のくずし字、162-1]事今だに記憶致をり※[#「候」のくずし字、162-2]。その頃まではこの辺の風俗も若きは天神髷三ツ輪またつぶしに結綿なぞかけ年増はおさふねお盥なぞにゆふもあり、絆纏のほか羽織なぞは着ず伝法なる好みにて中には半元服の凄き手取りもありと聞きしが今は鼻唄の代りに唱歌唄ふ田舎の女多くなりて唯わけもなく勤めすますを第一と心得※[#「候」のくずし字、162-5]故遊びが楽になりて深く迷込む恐れもなく誠に無事なる世となり申※[#「候」のくずし字、162-6]。
 後藤宙外子が作中たしか『松葉かんざし』と題せし一篇あり。浅草の風俗を描破する事なほ一葉女史が『濁江』の本郷丸山におけるが如きものとおぼえたり。天外子が『楊弓場の一時間』は好箇の写生文なり。『今戸心中』と『浅瀬の波』に明治時代の二遊里を写せし柳浪先生のかつて一度も筆をこの地につけたる事なきはむしろ奇なりといふべくや。『湯島詣』の著者また浅草を描きたることなきが如し。
 巷に秋立ちそめて水菓子屋の店先に葡萄の総凉しき火影に照さるるを見る時、わが身にはいつも可笑しき思出の浮び来るなり。およそ看る物同じといへども看る人の心異ればその趣もまた同じからず。一茶が句には
一番の富士見ところや葡萄棚
といふがあり。葡萄の棚より露重げに垂れ下る葡萄を見上れば小暗き葉越しの光にその総の一粒一粒は切子硝子の珠にも似たるを、秋風のややともすればゆらゆらとゆり動すさま、風前の牡丹花にもまさりて危くいたましくまたやさしき限りなり。
 島崎藤村子が古き美文の中にも葡萄棚のこと記せしものありしやに覚ゆ。
 今わが胸に浮出る葡萄棚の思出はかの浅間しき浅草にぞありける。二十の頃なりけり。どんよりと曇りて風なく、雨にもならぬ秋の一日、浅草伝法院の裏手なる土塀に添え…

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