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向島
むこうじま
作品ID49665
著者永井 荷風
文字遣い新字新仮名
底本 「荷風随筆集(上)」 岩波文庫、岩波書店
1986(昭和61)年9月16日
入力者門田裕志
校正者阿部哲也
公開 / 更新2010-04-11 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 隅田川の水はいよいよ濁りいよいよ悪臭をさえ放つようになってしまったので、その後わたくしは一度も河船には乗らないようになったが、思い返すとこの河水も明治大正の頃には奇麗であった。
 その頃、両国の川下には葭簀張の水練場が四、五軒も並んでいて、夕方近くには柳橋あたりの芸者が泳ぎに来たくらいで、かなり賑かなものであった。思い返すと四、五十年もむかしの事で、わたくしもこの辺の水練場で始めて泳ぎを教えられたのであった。世間ではまだ鎌倉あたりへ別荘を建てて子弟の遊場をつくるような風習がなかった。尋常中学へ這入って一、二年過ぎた頃かと思う。季節が少し寒くなりかかると、泳げないから浅草橋あたりまで行って釣舟屋の舟を借り、両国から向嶋、永代から品川の砲台あたりまで漕ぎ廻ったが、やがて二、三年過るとその興味も追々他に変じて、一ツ舟に乗り合せた学校友達とも遠ざかり、中には病死したものもあるが、月日と共にその名さえ忘れてしまって、思出すことさえできないのがある。
 その頃わたくしの家は生れた小石川から飯田町へ越していたので、何かの折、その辺を歩き過る時、ぽつりぽつりと前後なくその頃の事が思い出される。昨夜見た夢を覚めた後に思返すようなものだ。
 浅草も今戸橋場あたりの河岸である。河水に浮べた舟から見ると、別荘のような広い構えの屋敷が幾軒となく並んでいて、いずれも石河岸から流れの上に桟橋を浮べている。われわれはそういう桟橋に漕いでいるボートをつないで弁当を食べたり腕のつかれを休めたりしたものであるが、或日或屋敷の桟橋へ出て釣をしている学生を見たが、われわれと年頃が同じくらいなので、一度ならず二度ならず、度重るにつれて、別に理由もなく互に声でもかけ合って見たいような気になっていた。する中或日の事、学生の釣り上げた鮒かと思う大きな魚がわれわれのボートに飛び込んだ。学生は大きな声を出してわれわれを呼んだ。わたくしはその魚を押えて学生の立っている桟橋へ舟をつけたので、すっかり心安くなり、その後われわれが弁当なぞ食べているのを見たりすると、土瓶に暖い茶を入れて持って来てくれるようなこともあった。
 月日は過ぎて行く。いつかわれわれは舟遊びにも飽きて舟を借りにも行かなくなってから、また更に月日がたつ。尋常中学を出て専門の学校も卒業した後、或会社に雇われて亜米利加へ行った。そして或日曜日の午後、紐育中央公園のベンチで新聞を読んでいた時、わたくしの顔を見て、立止ると共にわたくしの名を呼んだ紳士があった。誰あろう。幾年か前浅草橋場の岸の桟橋で釣をしていたその人である。少年の頃の回想はその時いかに我々を幸福にしたか知れない。
 橋場辺の岸から向岸を見ると、帝国大学のペンキに塗られた艇庫が立っていて、毎年堤の花の咲く頃、学生の競漕が行われて、艇庫の上のみならず、そのあたり一帯が競漕を見にくる人で賑かにな…

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