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礫川徜徉記
れきせんしょうようき
作品ID49674
著者永井 荷風
文字遣い新字旧仮名
底本 「荷風随筆集(上)」 岩波文庫、岩波書店
1986(昭和61)年9月16日
入力者門田裕志
校正者阿部哲也
公開 / 更新2010-07-02 / 2019-12-30
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 何事にも倦果てたりしわが身の、なほ折節にいささかの興を催すことあるは、町中の寺を過る折からふと思出でて、その庭に入り、古墳の苔を掃つて、見ざりし世の人を憶ふ時なり。
 見ざりし世の人をその墳墓に訪ふは、生ける人をその家に訪ふとは異りて、寒暄の辞を陳るにも及ばず、手土産たづさへ行くわづらひもなし。此方より訪はまく思立つ時にのみ訪ひ行き、わが心のままなる思に耽りて、去りたき時に立去るも強て袖引きとどめらるる虞なく、幾年月打捨てて顧ざることあるも、軽薄不実の譏を受けむ心づかひもなし。雨の夜のさびしさに書を読みて、書中の人を思ひ、風静なる日その墳墓をたづねて更にその為人を憶ふ。この心何事にも喩へがたし。寒夜ひとり茶を煮る時の情味聊これに似たりともいはばいふべし。
 わが東京の市内に残りし古碑断碣、その半は癸亥の歳の災禍に烏有となりぬ。山の手の寺院にあるもの、幸にして舞馬の災を免れしといへども、移行く世の気運は永く市塵繁華の間に金石の文字を存ぜしむべきや否や。もしこれ杞人の憂ひにあらずとなさんか、掃墓の興は今の世に取残されしわれらのわづかにこれを知るのみに止りて、われらが子孫の世に及びては、これを知らんとするもまた知るべからざるものとはなりぬべし。
 掃墓の間事業は江戸風雅の遺習なり。英米の如き実業功利の国にこの趣味存せず。たまたまわれ巴里にありてこれあるを見しかど、既に二十年前のことなれば、大乱以後の巴里の人士今なほ然るや否や知るべくもあらず。江戸時代にありて普く探墓の興を世の人に知らしめし好奇の士は、『江戸名家墓所一覧』の一書を著せし老樗軒の主人を以てまづはその鼻祖ともなすべきにや。『墓所一覧』の梨棗に上せられしは文政紀元の春なること人の知るところなり。
 春秋の彼岸は墓参の時節と定められたり。しかれども忘れられたる古墳を尋ね弔はんには、秋の彼岸には[#挿絵]既に傾きやすく、やうやうにして知れがたき断碑を尋出して、さて寺の男に水運ばせ苔を洗ひ蘿を剥して漫[#挿絵]せる墓誌なぞ読みまた写さんとすれば、衰へたる日影の蚤くも舂きて蜩の啼きしきる声一際耳につき、読難き文字更に読難きに苦しむべし。春の彼岸には風なほ寒くして雨の気遣はるる日もまた多きをや。花見の頃は世間さわがしければ門をいづる心地もせざるべし。八重の桜も散りそむる春の末より牡丹いまだ開かざる夏の初こそ、老躯杖をたよりに墓をさぐりに出づべき時節なれ。長き日を歩みつづけて汗ばむ額も寺の庭に入れば新樹の風ただちにこれを拭ひ、木の根石の端に腰かくるも藪蚊いまだ来らず、醜草なほはびこらざれば蛇のおそれもなし。苔蒸す地の上には落花なほみだれてあり。日の光にかがやく木の芽のうつくしさ雨に打れし墓石の古びたるに似もやらねば、亡き人を憶ふ心落葉の頃にもまさりてまた一段の深きを加ふべし。
 ことし甲子の暮春、日曜日にもあらず大…

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