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![]() がこうとゆうれい |
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作品ID | 49681 |
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著者 | 岡本 綺堂 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「飛騨の怪談 新編 綺堂怪奇名作選」 メディアファクトリー 2008(平成20)年3月5日 |
初出 | 「文藝倶楽部」1902(明治35)年8月 |
入力者 | 川山隆 |
校正者 | 山本弘子 |
公開 / 更新 | 2010-05-19 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 15 ページ(500字/頁で計算) |
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千八百八十四年、英国倫敦発刊の某雑誌に「最も奇なる、実に驚くべき怪談」と題して、頗る小説的の一種の妖怪談を掲載し、この世界の上には人間の想像すべからざる秘密又は不思議が存在しているに相違ない、これが即ち其の最も信ずべき有力の証拠であると称して、その妖怪を実地に見届けた本人(画工エリック)の談話を其のまま筆記してある。原文は余ほど長いものであるから、今その要を摘んで左に紹介する。で、その中に私とあるのは、即ち其の目撃者たる画工自身の事だ。
今年の七月下旬、私は某友人の紹介で、貴族エル何某の別荘へ避暑かたがた遊びに行った事がある、その別荘は倫敦の街から九哩ばかり距れた所にあるが、中々手広い立派な邸宅で、何さま由緒ある貴族の別荘らしく見えた。で、私が名刺を出して来意を通じると、別荘の番人が取あえず私を奥へ案内して、「あなたが御出の事は已に主人の方から沙汰がございました、就ましては此の通りの田舎でございますが、悠々御逗留なすって下さいまし」と、大層鄭重に接って呉れたので、私も非常に満足して、主人公はお出になっているのかと尋ねると、「イエまだお出にはなりませんが、当月末にはお出なさるに違ありません」との事。それから晩餐の御馳走になって、奥の間の最上等の座敷へ案内されて、ここを私の居間と定められたが、こんな立派な広いお座敷に寝るのは実に今夜が嚆矢だ、併し後で考えるとこのお座敷が一向に有難くない、思い出しても慄然とするお座敷であったのだ。
神ならぬ身の私は、ただ何が無しに愉快で満足で、十分に手足を伸して楽々と眠に就いたのが夜の十一時頃、それから一寝入して眼が醒めると、何だか頭が重いような、呼吸苦しいような、何とも云われぬ切ない心持がするので、若や瓦斯の螺旋でも弛んでいるのではあるまいかと、取あえず寝台を降りて座敷の瓦斯を検査したが、螺旋には更に別条なく、また他から瓦斯の洩れるような様子もない、けれども、何分にも呼吸が詰まるような心持で、終局には眼が眩んで来たから、兎にかく一方の硝子窓をあけて、それから半身を外に出して、先ずほっと一息ついた。今夜は月のない晩であるが、大空には無数の星のかげ冴えて、その星明で庭の景色もおぼろに見える、昼は左のみとも思わなかったが、今見ると実に驚くばかりの広い庭で、植込の立木は宛で小さな森のように黒く繁茂っているが、今夜はそよとの風も吹かず、庭にあるほどの草も木も静に眠って、葉末を飜るる夜露の音も聞えるばかり、いかにも閑静な夜であった。併し私はただ閑静だと思ったばかりで、別に寂しいとも怖いとも思わず、斯ういう夜の景色は確に一つの画題になると、只管にわが職業にのみ心を傾けて、余念もなく庭を眺めていたが、やがて気が注いて窓を鎖じ、再び寝台の上に横になると、柱時計が恰も二時を告げた。室外の空気に頭を晒していた所為か、重かった頭も大分に軽く清し…