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旧聞日本橋
きゅうぶんにほんばし
作品ID4971
副題11 朝散太夫の末裔
11 ちょうさんだいぶのまつえい
著者長谷川 時雨
文字遣い新字新仮名
底本 「旧聞日本橋」 岩波文庫、岩波書店
1983(昭和58)年8月16日
入力者門田裕志
校正者松永正敏
公開 / 更新2003-07-17 / 2014-09-17
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 朝散太夫とは、支那唐朝の制にて従五品下の雅称、我国にて従五位下の唐名とある。
 太夫とは、支那周代の朝廷及諸侯の、国の官吏の階級の一、卿の下、士の上に位すとある。もっと委しく、博学らしく書きたてると、支那唐代の官職に依る貴族の階級中、従二品より従五品下までの名目だった語で、従二品が光禄太夫、正三品が金紫光禄太夫、従三品銀青光禄太夫、正四品上が正議太夫、正四品下が通儀太夫、従四品上が大中太夫、同下が中太夫、正五品上が中散太夫、下が朝議太夫、従五品上が朝請太夫、下が朝散太夫ナリである。
 我国右近衛将監を右近太夫、公卿の子でまだ官位のないのを、いずれ五位に叙せられるからというので無官の太夫という。
 ここまでくるとやっと馴染がある。無官の太夫なら敦盛という美しい平家の若武者で、大概の人が芝居や浄るりや、あるいは稗史でよく知っている。もっとも朝散太夫浅野内匠頭長矩、即ち忠臣蔵の塩冶判官高貞もそうである。
 その、従五位下朝散太夫の唐名をもった人が、湯川氏一族、御直参ならずもの仲間の、藤木の先祖の一人。

 藤木一門には、それよりもっと偉い人物があったのかも知れないが、アンポンタンには見上げるような高い石碑に、××院殿従五位下前朝散太夫なんとかのなんのなんとかと、とても長く彫みつけてあった朝散太夫を子供心にすっかり覚えこんでしまったのだった。藤木家の寺院は、浅草菊屋橋の畔にあって、堂々とした、そのくせ閑雅な、広い庫裏をもち、藪をもち、かなり墓地も手広かった。昔はもっと広大かったのであろうと思わせたのは、藤木氏一門のどれも美事な見上げるような墓石が、両側に五十余基も正然と、間隔をもって立ちならんでいたのでもわかる。震災後の市区改正で、いまでは電車の走る区域になってしまっているかも知れない。
「よくあの墓石を売らなかったな。」
と誰かいうと、このお旗本は、杯口を下の膳の上において、痩身の男が、猫のように丸めた背中をくねらし、木乃伊みたいに黒い長い顔から、抓みよせた小さな眼を光らせて、
「やったさ、お前さん。」
 まあお聴きといったふうに、招き猫の手つきをする。
「大いところは目につくから――ヘッ、鰻だと思ってるんだね、小串のところをやったのでね。性質(石の)のいいやつばかりお好みと来たのさ。そうさ、姐さんおかわりだ、ヘイ宜しゅうってんで、なんしたんだが、あんまり大きすぎたのはいけないね、眼にたつんで、客の方が二の足でね、なにせ、だいぶお立派な方々でございまして、ヘッて、平伏っちまやがるんだから。ありゃいけないね、あんまりゴテゴテの戒名なんぞつけたのは。子孫へ不孝っていうもんだ――なにってやがる、さんざ香このように食っといて――」
 自嘲して、お酒をまた一口のんで、長いまばらな黄歯を出して見せて、
「いまじゃこの歯じゃ喰えもしないさ。」
「鰻をおあがり。」
「おおけに。…

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