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旧聞日本橋
きゅうぶんにほんばし
作品ID4973
副題13 お墓のすげかえ
13 おはかのすげかえ
著者長谷川 時雨
文字遣い新字新仮名
底本 「旧聞日本橋」 岩波文庫、岩波書店
1983(昭和58)年8月16日
入力者門田裕志
校正者松永正敏
公開 / 更新2003-07-29 / 2014-09-17
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 一族の石塔五十幾基をもった、朝散太夫藤木氏の末裔チンコッきりおじさんは、三人の兄弟であったが、揃いもそろった幕末お旗本ならずものの見本で、仲兄は切腹、上の兄は他から帰ってきたところを、襖のかげから跳り出た父親が手にかけたのだった。末子のチンコッきりおじさんが家督をついだ時分には、もうそんな、放蕩児なぞ気にかけていられない世の忙しさだった。
 岡本綺堂氏作の『尾上伊太八』という戯曲の中に、伊太八という幕末の江戸武士が吉原の花魁尾上と心中をしそこなって非人におとされてから、非人小屋の床下を掘る場面があるが、あれを見るたびに私は微笑とも苦笑ともなづけがたいほほえみが突上げてくる。伊太八のは根強い悪だが藤木さんのは時代のユーモアがある。この放蕩漢兄弟は金がほしくなると種々な智恵の絞りっこをしたが、だんだんに詰って土を売ることを思いついた。
 江戸の下町でよい庭をつくるには、山の手の赤土を土屋から入れさせるのである。今のように富限者が、山の手や郊外に土地をもっても、そこを住居にしていなかったので、蔵と蔵との間へ茶庭をつくり、数寄をこらす風流を楽しんでいた。一木何十両、一石数百両なぞという――無論いまより運搬費にかかりはしたであろうが贅沢を競った。その地面に苔をつけるには下町の焼土では、深山、または幽谷の風趣を求めることは出来ない。植木のためにもよくない、そこで赤土の価がよい。
 三人の兄弟がその時ばかりは志が一致する。父親が勤めに出てしまうと、なるたけ坪数のある広間、書院の床下から仕事をはじめる。自分たちでやって見たが、根から遊惰な男たちには、堅い土がいくらも掘りかえされないので、大っぴらに父の留守を狙っては払いさげをやる。売る土がなくなると姉が死んだといって、蔵前の札差しに、来年さらいねんの扶持米を金にして貸せといたぶりに行く。札差し稼業はもとよりそういう放埒な、または貧乏な武士があって太るのだ。貴下には泣かされますといいながら絞る。いくらにでも金にすればよいので、時価なぞにかまっていないよいお得意なのだから、彼らの番頭はうやうやしく町人袴をはき、手代を供につれて香奠をもって悔みにくる。おなじ穴の狢友達が出て殊勝らしく応待して、包んで来た香奠の包みをもってはいると、そんな事は知らない姉じゃ人が、日頃厄介をかける札差の番頭が来たというので挨拶に出て、すっかり巧みの尻が割れ、ならずものたちは裏門から飛出してしまう――
 そんな話を藤木さんは自分でも面白そうにはなす。尤もそれは柳橋にすむようになって、昼も酒盃をもっていられるようになった、ずっと晩年のことではあるが――
 柳橋の角に、檜づくりの磨きたてた造作の芸妓屋を、姉娘の旦那に建てもらい、またその隣家を買いつぶして、小意気な座敷を妹娘の旦那に建増してもらって、急に××家のおとっさんおとっさんとたてられ、ばかに華々しく…

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