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旧聞日本橋
きゅうぶんにほんばし
作品ID4975
副題15 流れた唾き
15 ながれたつばき
著者長谷川 時雨
文字遣い新字新仮名
底本 「旧聞日本橋」 岩波文庫、岩波書店
1983(昭和58)年8月16日
入力者門田裕志
校正者松永正敏
公開 / 更新2003-07-29 / 2014-09-17
長さの目安約 18 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 神田のクリスチャンの伯母さんの家の家風が、あんぽんたんを甚くよろこばせた。この伯母さんは、女学校を出て、行燈袴を穿いて、四円の月給の小学教師になったので、私の母から姉妹の縁を切るといわれた女だ。でも、当時を風靡した官員さんの細君になったので、また縁がつながったものと見える。思うに私の母はちと癪だったに違いない。家業は自分の夫の方が小粋で、モダンなんだが、家風がばかに古くって、伯母の家とはてんでおはなしにならない、違いかただった。
 それも八十になるおばあさんがいるからだ――そう思ったことであったろう。今考えると、月琴をかかえたり、眉毛をたてたりしたのは、時代の風潮ばかりではなく、このおばさんの、近代生活にグッとしたのかもしれない。
 しかし、その時分のモダンは、四布風呂敷ほどの大きさの肩掛けをかけたり、十八世紀風のボンネットや肩に当ものをしたり、お乳にもあてものをして、胸のところで紐を編上げたりするシミズを着て、腰にはユラユラブカブカする、今なら襁褓干しにつかうような格好のものを入れて洋服を着ていた時代である。江の島か鎌倉へゆくと、近所知己からお留守見舞というものをくれて帰ってくるとあの子は洋行をして来た――嘘ではない。洋行という新時代語と、道中とか旅とかいっていたのを、洋行というむずかしい言語で言いあらわそうとした間違いを平気で、いってみれば、あの方がダラ幹さんという方? ときく人がある、ああした生はんかな、物知り――そんな位なところなのだったのだ。もっとあとだって、昨夜は大財産をなすったなんて、財産と散財と、とんちんかんなのを、どうしても得とく出来なかったものさえある。
 私の家族は御飯のとき、向側の角が祖母、火鉢をはさんで父、すこしはなれて母、母の横から小さい姉妹が折曲って、祖母の前が丁度私の居場所になる。みんな、各自のお膳を行儀よくひかえる。祖母は何もかも一番早くゆくから一番さきにしまいになる。すると、長い煙管をついて監視人と早がわり、御飯粒ひとつでもこぼすと、その始末をしてしまわないうちは食べさせない。あたしは味噌汁が嫌いなので、ぽっちりとお椀の底の方へよそってもらってもつい残す。とにかく祖母の目はあたしにばかりそそがれているからたまらない、最後に、小言はいわずに、
「越中立山、無限地獄に堕るぞよ。」
と、あたしのお残りへ白湯をさして飲んでくれる。あんぽんたんながら、それには恐縮して、老人の眼は悪かろうからと、だんだん後へさがって座るのだが、お豆腐ぎらいのために母が内密で半片にしてくれると、ちゃんと知っている。だから私はすべて襖のそとへ手をついて――只今という機械人形のようなおとなしさだ。この祖母は、ぞんざいな者が傍へくると、近よらないさきから足を踏まれない用心に、あいたあいたと言った。と、いかなぞん気ものでも吃驚して立止まるか静かにあるくかする…

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