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遁走
とんそう
作品ID49754
著者葛西 善蔵
文字遣い新字新仮名
底本 「日本文学全集31 葛西善蔵 嘉村礒多集」 集英社
1969(昭和44)年7月12日
初出「新小説」1918(大正7)年9月
入力者岡本ゆみ子
校正者伊藤時也
公開 / 更新2010-08-01 / 2014-09-21
長さの目安約 24 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 神田のある会社へと、それから日比谷の方の新聞社へ知人を訪ねて、明日の晩の笹川の長編小説出版記念会の会費を借りることを頼んだが、いずれも成功しなかった。私は少し落胆してとにかく笹川のところへ行って様子を聞いてみようと思って、郊外行きの電車に乗った。
 笹川の下宿には原口(笹川の長編のモデルの一人)が来ていた。私がはいって行くと、笹川は例の憫れむようなまた皮肉な眼つきして「今日はたいそうおめかしでいらっしゃいますね」と、言った。
 こう言われて、私は頭を掻いた。じつは私は昨日ようようのことで、古着屋から洗い晒しの紺絣の単衣を買った。そして久しぶりで斬髪した。それで今日会費の調達――と出かけたところなのだ。
「書けたかね?」と、私は原口の側に坐って、訊いた。
「一つ短いものができたんだがね……それでじつは今朝から方々持歩いているんだが、どこでもすぐ金にはしてくれない」と、原口は暗い顔して言った。
「それで、君のところへは会の案内状が来た?」
「いや、僕が家を出る時はまだ来てなかった」と彼は同じ調子で言った。
「僕のところへもまだ来てない。しかしおかしいじゃないか、明日の会だというのに……。それにKやAのところへは四五日も前に行ってるそうだぜ。どうしたんだろうね君……?」
「そんなこと僕に訊いたって、分りゃせんさ。それに、元来作家なんてものは、すべてこうしたことはいっさい関係しないものなんだよ」笹川はこう、彼のいわゆる作家風々主義から、咎めるような口調で言った。
 彼のいわゆる作家風々主義というのは、つまり作家なんてものは、どこまでも風々来々的の性質のもので、すべての世間的な名利とか名声とかいうものから超越していなければならぬという意味なのである。時流を超越しなければならぬというのである。こういう点では彼は平常からかなり細心な注意を払っていた。たとえば、卑近な例を挙げてみれば、彼は米琉の新しい揃いの着物を着ていても、帽子はというと何年か前の古物を被って、平然として、いわゆる作家風々として歩き廻っているといった次第なのである。
「……それでは君、僕はそういうわけだから、明日の晩は失敬するからね」原口はこう笹川に挨拶して、出て行った。
「原口君は原口君であんなことを言ってくるし、君は君でそんなだし、いったい君は僕のことをどんな風に考えているのかね? 温情家とか慈善家とでも思っているのかね? とんでもない!」原口の出て行った後で、笹川は不機嫌を曝けだした、罵るような調子で私に向ってきた。
 私は恐縮してしまった。
「いやけっしてその、そんな風に考えているというわけでもないのだがね……。それでやはり、原口君もいくらか借りてるというわけかね?」
「そうだよ。高はいくらでもないが、今朝までにはきっと持ってくるという約束で持って行った金なんだがね」
 彼はますます不機嫌に…

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