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旧聞日本橋
きゅうぶんにほんばし
作品ID4976
副題16 最初の外国保険詐欺
16 さいしょのがいこくほけんさぎ
著者長谷川 時雨
文字遣い新字新仮名
底本 「旧聞日本橋」 岩波文庫、岩波書店
1983(昭和58)年8月16日
入力者門田裕志
校正者松永正敏
公開 / 更新2003-07-29 / 2014-09-17
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 この章にうつろうとして、あんぽんたんはあまりあんぽんたんであった事を残念に思う。ここに書こうとする事は、私の幼時の記憶と、おぼろげに聞き噛っていただけの話ではちと荷がかちすぎる。
 私はまことに呑気な、ぽかんとした顔をしているが、私というものが生をこの世にうける前は江戸が甦生し、新たに生れた東京という都が、総てに新生の姿をとって漸く腰がすわったところであった。いたるところに文明開化という言葉がもちいられた。チョン髷がとれて、腰の刀が廃された位の相違ではない。一般庶民が王侯と肩をならべられるようになったのだ。これはなんという急激な改革だかしれない。昨日まで土下座の身分の者が、ともかく同等の権利を認められようというのだ。そして憲法は発布され、国会も開設されようというのだ。
 そしてそこには幾多の衝突と犠牲があった。幕末からかけて五、六十年間、尊い血潮が流され、有為の士の多くが倒れている。その最後が佐賀の乱、西南の役であるが、自由党の頭初といい倒幕維新の大きな渦の中にはフランスコンミュンの影もかなり濃かったのではなかろうか、時代の流れ、思潮の渦は、この島国の首都をも捲きこんだのであった。
 私はなんでそんなむずかしいことを言いだしたかというと、「娼妓解放令」についていいたかったからだが、あんぽんたんはそれを聞いておくにはあまり幼稚すぎた。いま私が語ろうとする、おぼろげながら私の頭に残る二人の男は、その当時での当世男であると思うが、いつでもきける話だと思っていた油断が父が死んでしまったので、私の記憶はただ外形だけのものとなってしまった。その一人を通称金兵衛さんといった松本秀造という人と、秀造さんの妹の御亭主清水異之助という人だ。
 秀造さんは吉原の大籬金瓶大黒の恋婿で、吉原に文明開化をもちこんで、幾分でも吉原を明るくしたかわりに養家はつぶしてしまった人。異之助さんは本邦最初の、外国火災保険詐欺をやった男。
 秀造さんは眼から鼻へぬけるような才人だったという――これは後に大人が言ってるのを聞いていたのだが、吉原の積立金(税金だともきいた)使い込み事件で体があぶない時、父にかくまわれていた。
 そのころ私は赤ん坊で、家は大火事に焼かれて土蔵前に庇かけをしていたというから、明治十三、四年のころでもあったろう。ある夜、神田柳原河岸の米屋、村勝という爺さんにつれられて、唐桟の絆纏を着て手拭の吉原かむり、枝豆や里芋の籠を包んだ小風呂敷を肩にむすんで、すっと這入って来たのが秀造さんだという。
 金瓶大黒という名はよく講談にも出てくる。目下、『日日新聞』夕刊に載っている田中貢太郎氏の「旋風時代」には金瓶大黒として、時の高官たちの遊興ぶりを書いてある。事実その遊びぶりは大いしたものであったらしい。金瓶大黒の今紫の男舞といえば、明治もずっと末になって、今紫といった妓の晩年まで地方の劇…

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