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![]() くさつこう |
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作品ID | 49770 |
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著者 | 長塚 節 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「長塚節全集 第五巻」 春陽堂書店 1978(昭和53)年11月30日 |
入力者 | 林幸雄 |
校正者 | 岡村和彦 |
公開 / 更新 | 2016-07-13 / 2016-06-29 |
長さの目安 | 約 23 ページ(500字/頁で計算) |
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われに一人の祖母あり。年耳順を越えて矍鑠たり。二佛を信ずること篤く、常に名刹に詣せん事を希ふ。然れども昔時行旅の便甚だ難きに馴れて、敢て獨りいづることをなさず。頻に之を共にするものあるを求む。今茲にわれ醫の勸によりて、暑を草津に避けむとす。草津はと[#「草津はと」はママ]上州の西端にありて、信州と前後一帶の山脈直ちに之により峙つ故を以て、長野の地と相離ること遠からず。是に於てかわれ祖母に伴ふて、善光寺に先づ賽するを約す。即ち之より廻りて、草津に到らんとするなり。秋葉君また余と行を共にす。
七月二十六日、汽車に乘じて下舘を發す。筑波の山われをおくりて、翠黛の眉濃かに插秧既に終りて日をふること旬日、朝風露をわたりて更に一段の緑を添ふ。水白く橋下の礫に碎くるものは鬼怒の清流にして、天と地と相接するところ低林淡く相連なるものは、遠村の幽趣に非ずや。直となり小山より轉乘して西に向ふ。日は午を過ぎて、炎暑漸多くまゝにせんとす。忽ちにして車は思川の橋上に横はる。凉風一過、亦少しく胸襟を醫するに足るものなしとせず。
川上はまだきあとべとなりぬれどすゞしき風は得こそ忘れね
左右遠くひらけて際なく、水田の細徑時に村童ありて馬を導く。前面に一峯あり、樹木欝葱として茂生す。是を大平山となす。鳴呼[#「鳴呼」はママ]、年を隔つる三十時。平かにして風は喬木を鳴さずして、山は自ら靜容あり。連峯蜒々として走るの間、山の尤も近くして又尤も奇なるもの岩船あり。削壁突兀として青松其間を綴る。
うすくこく松原みえて下野や都賀山つゞき雲はれにけり 清水瀧臣
之を過ぎて、北は透[#挿絵]たる群峯の迫りて、細流なほ激して走るものあり。南は即ち茫漠として、天には低く長く動かざるものあり。平和の光景以て掬す可し。或は林を穿を、或は山江水漲る間を通して足利にいる。面を車窓に出して望めば、僅に一流ありて其南を洗ふをみる可し。是を渡良瀬となす。既にして南方淡靄のうちに、青松蔚然として高きものあり。因に徴すれば、之れ太田の金山なり。余常に誦する所の俗謠一首あり。婉曲頗る人情の機微を穿つものあり。
わたしや太田の金山育ちほかにやまもないまつばかり
桐生をいでて渡良瀬川を過ぐ。水淺くして而かも岩石に激す。流緩々たらざるものあり。凡そ足利よりこゝに至る間、此川軌道と相離るゝもの常に遠からず。之を窺ふに堤坊の决壞せるもの往々にしてあり、其水[#挿絵]を對岸の景致をみれば、心慰むるの趣なきに非ずと雖、抑も亦其沿岸居民の慘あるを思へば悄然として憂なきに非るなり。眼を放てば、平野の盡くる所山脚遠く長く走りて、而かも粹然として峯頭濃雲のうちにかくるゝものは赤城なり。山脚赤城の如く緩かならず自ら雄偉の姿を缺くと雖、なほ且秀容直ちに登臨の念を起さしむるものは榛名なり。奔流怒りて岩を噛む利根の上流を過ぐれば、靉靆たる雲天にあ…