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「あばた」も「えくぼ」、「えくぼ」も「あばた」
「あばた」も「えくぼ」、「えくぼ」も「あばた」
作品ID49788
副題――日本石器時代終末期問題――
――にほんせっきじだいしゅうまつきもんだい――
著者喜田 貞吉
文字遣い新字新仮名
底本 「喜田貞吉著作集 第一巻 石器時代と考古学」 平凡社
1981(昭和56)年7月30日
初出「ミネルヴァ 第一巻第五号」1936(昭和11)年6月
入力者しだひろし
校正者杉浦鳥見
公開 / 更新2021-07-11 / 2021-06-28
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 惚れた目から見れば痘痕も笑窪に見えるという諺があるが、反対に、いやと思う眼から観れば笑窪も時に痘痕に見えようというもの。余輩が昨年〔(昭和一〇年)〕癌腫保持者たるの宣告を受けて、懇意な人の中には手術をすすめてくれる者もあったが、多数は反対の意見に傾いて、「何分お年がお年だから、それに心臓も丈夫でないようだから」などと、医者からまでも非観説を[#「非観説を」はママ]聞かされてみると、自分もつい臆病になって来る。見舞客から親切に知らせてくれる幾多の先例、自身の記憶から考えてみる若干の見聞、とかく手術の結果のよくなかったもののみがしきりにあらわれて来る。念のために医学者の発表した癌に関する文献などをあさってみても、とかく悲観的のもののみが多く頭に映って来る。結局はあらゆる方法をつくして病勢昂進阻止の手段を取り、そのうえは天命にまかすよりほかなしと覚悟を極めたのであった。しかるにたまたま順天堂八代〔(豊雄)〕博士の自信にみちた勧告によって、その神技に依頼して患部を除去して貰ってみると、思いのほかにその結果がよくて、爾来約十一ヵ月の今日まだ少しも再発の徴候もなく、ともかくもこうして万年筆を走らす身となっているのである。そうなると奇態なもので、今度は手術の結果の善かった実例が盛んに集まって来る。自身書を寄せてその根治の体験を知らせてくださる親切な人もある。そんなに良い成績を挙げた先例がたくさんあることに前から気がついていたのだったなら、自分はなんら顧慮することなく手術をして貰うのだったのにと思ったことだった。
 痘痕も笑窪に見えるとはここのことだ。色眼鏡をかけて見ればすべてのものがその色にうつるのと同様だ。自分の好むところのものがしきりに目について、好まぬところのものはつい軽々に看過してしまうのだ。学者がよほど公平に資料を蒐集しているつもりでいても、とかく先入観が主となって自説に都合のよいことのみがしきりに注意せられ、都合の悪いものはとかく閑却されがちになる。御互いに研究に従事するものの警戒せねばならぬことだ。
 枕が案外長くなったが、さて本文に入って、本誌〔(『ミネルヴア』)〕五月号〔(第一巻第四号)〕所載、山内清男君の「日本考古学の秩序」なる論文について少々述べてみたい。山内君のあの論文は、余輩が四月号に書いた「日本石器時代の終末期について」〔(本巻前章)〕の小論を見られて、それを対象として余輩の啓蒙のために書かれたものらしいからだ。
 もともと余輩のあの小論文は、山内君のいわゆる「怪しいもの」、「いかがわしいもの」を学界に紹介した当の責任者として、いささか釈明を加えたつもりのものだった。しかるに筆が至らなかったがためか、どうもその釈明の主意が山内君には通じなかったらしく、わざわざ余輩のために持論を繰り返されたのに恐縮する。そして余輩がその正確を確認する岩手県大原…

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