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奥羽北部の石器時代文化における古代シナ文化の影響について
おううほくぶのせっきじだいぶんかにおけるこだいシナぶんかのえいきょうについて |
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作品ID | 49792 |
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著者 | 喜田 貞吉 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「喜田貞吉著作集 第一巻 石器時代と考古学」 平凡社 1981(昭和56)年7月30日 |
初出 | 「民族 第二巻第二号」1927(昭和2)年1月 |
入力者 | しだひろし |
校正者 | 杉浦鳥見 |
公開 / 更新 | 2021-03-16 / 2021-02-26 |
長さの目安 | 約 20 ページ(500字/頁で計算) |
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昨年〔(大正一五年)〕一月発行の本誌〔(『民族』)〕第一巻第二号において、自分は柳田〔(国男)〕君の促しによって、「奥羽地方のアイヌ族の大陸交通はすでに先秦時代にあるか」という標題のはなはだ長たらしい、しかも内容のきわめて貧弱な一小篇〔(前章)〕を掲載して戴いたことであった。それはかつて同じ柳田君が『郷土研究』を発行せられた時に、同誌の同じ第一巻第二号において、ほんの少しばかりのヒントから秦人と銅鐸とに関する論拠はなはだ薄弱な考証〔9〕を発表したところが、その後続々それを裏書きすべき新資料が発見せられて、今では少くも自分限りにおいて、定説といってもよいほどの確信を得るに至ったので、自分にとってこのはなはだ喜ばしい嘉例を追うて、相変らずわずかばかりのヒントから、物好き気分半分に、デッチあげた奇抜な考説を発表して、他日さらにこれを証明するに足るの新証拠の、出現を待とうというくらいの小野心に過ぎないのであった。
しかるにその後一年ならざるに、この将来を祝福した自分の小野心は、果して続々新資料の発見によって、満足されつつある気持がするのである。すなわちここにそれを同好諸君の前に披露して、自分の稚気満々たる喜びをお裾分けしたいと思う。なんだそんなつまらぬ物がと思われるお方々は、御遠慮なく御叱正を賜わりたい。幸いにそれに共鳴せられるお方々は、どうかこれが材料を御提供くださって、研究の進捗を助けられたい。
さきに自分が本誌において、奥羽地方のアイヌ族がすでに先秦時代に際して、大陸と交通したのではなかろうかというような、突飛な説を担ぎ出すに至ったのは、主として津軽半島の北端に近い宇鉄から発見せられた石刀が、先秦時代のシナの刀貨と類似しているところにヒントを得たためであった。もちろんこの以外にも、土器の形態やその表面の文様に、先秦時代の古銅器のそれに似たらしく思われるもののあること、日本にはまだその存在を知らないところの硬玉をもって造った曲玉等の、しばしば発見せられること、奥羽の古墳のある物から先秦の刀貨の発見せられたということ等をも附け加えておいたが、実をいえば、証拠としてはかなり薄弱なものを陳列したに過ぎなかった。しかしながら自分が、そんな薄弱な資料の集りから、ともかくそんな大胆な説を発表してみたゆえんのものは、実は同じく石器時代の遺物といっても、奥羽北部から出る土器には特別に精巧なものが多く、関東地方その他のものとは、一見選を異にするほどの優品が少からず、また硬玉製の曲玉等も、特にこの地方に多く発見せられることなどからして、ここに一種特別の石器時代文化が発達しておったかに想像せられるためであった。これらの進歩したる文化は、この地方においてのみたまたま出現したと解するよりも、ある他の進歩したる外来文化の影響を受けて、これがために促されたと解するを至当と信ずるのである…