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八月の霧島
はちがつのきりしま
作品ID49800
著者吉田 絃二郎
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本紀行文学全集 南日本編」 ほるぷ出版
1976(昭和51)年8月1日
入力者林幸雄
校正者岩澤秀紀
公開 / 更新2012-12-29 / 2014-09-16
長さの目安約 22 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 夜の汽車から浪に映る宮島の燭を見ようと思つてゐたが、旅の疲れですつかり眠つてしまつて、眼がさめたころは夜はすでに明けてゐた。中国特有の低い砂山の松の間には赤い百合の花が咲いてゐた。芒の穂につつまれた磯の、広い塩田には朝の露が重く、まだ人の影一つ見えなかつた。
 静かな朝の入り江は、低い砂山をめぐつてさらに眠りからさめたばかりの静かな入り江へとつづいた。潮に沿うて露重げに夾竹桃が咲いてゐた。
 島の影が光り、海の色が磨き上げられたやうにかがやきはじめたころは汽車の窓からは下ノ関の山が見えた。
 わたくしたちはステーション前の俥を雇つて壇の浦見物に出かけることにした。ステーションの前にも、波止場にも、市場にも白い服の朝鮮人たちが群をなして立つてゐた。真夏の日がぎらぎらとかがやいてゐた。殊に藁履のやうなものを穿いた朝鮮の女が、その夫らしい逞しい男の後ろから異邦人の間を、小胯で急ぎ足に歩いてゆく姿は旅人の心を惹きつけた。
 二三日前の雨のために壇の浦に沿うた高い崖はくづれて半ば道を塞いでゐた。そこにも二三十人の朝鮮の人が、日本の工夫たちに交つて土を運んでゐた。
 恰度退き潮だつたので早鞆の瀬戸は白い渦を巻いて流れてゐた。
 二位の尼に抱かれて安徳帝が身を投げられたといふ海の上は道からわづかに三四十間とははなれてないところであつた。そこには赤い浮標がつながれてあつた。御裳裾川が流れてゐたといふあたりには、古びた二階建の家が七八軒も海に沿うて並んでゐた。崖の下の磯では二人の少年がしきりに貝をあさつてゐた。
 四国の山であらうか、九州の山であらうか、縹緲たる煙波をへだてて波の上に横たはつてゐた。かつてそこでは恐らく幾万の人々がわめき叫んで、人の血を貪つたことであらう。戦旗が翻つたことであらう。人間のあらゆる光栄と、努力と、勇気と華やかさと、残忍さとが波の上に描き出されたことであらう。
 黒い波のみが流れてゐた。岸の芒を吹く風は秋のやうに白かつた。
 赤間神社の森は暗いほどに茂つてゐた。網目になつた木の根につつまれて二位の尼、知盛以下二十人ばかりの小さな墓が並んでゐた。それは名もなき行路病者の墓を聯想させた。恐らく里の人々が、岸に流れついたかれ等の死骸を一つに集めて山の根方に葬つたものであらう。苔につつまれたあはれな墓の前に立てば瞼の裏がほてるやうな感じに打たれる。安徳帝の御陵は一段低いところにあるが、わたくしたちが訪ねた日は恰度御命日にあたるといふので開かれてゐた。
      *
 急ぐ旅でもないので博多に下りることにした。
 何といふ宿屋がいいのか知らないので、旅行案内を出して見たが三つの旅館の名が出てゐた。人に訊ねるわけにもゆかぬので眼をつむつてゐて指でさした宿に落ちつくことに決めたが、その宿は去年の冬焼けたといふことであつたので水野といふ旅館にゆくことにした。

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