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天草の春
あまくさのはる |
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作品ID | 49801 |
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著者 | 長谷 健 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「現代日本紀行文学全集 南日本編」 ほるぷ出版 1976(昭和51)年8月1日 |
初出 | 「九州路抄」日本交通公社、1948(昭和23)年9月15日 |
入力者 | 林幸雄 |
校正者 | 鈴木厚司 |
公開 / 更新 | 2009-04-13 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 15 ページ(500字/頁で計算) |
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三月二十三日
きのう越後からの便りに、越路はまだ深い雪の中で、春まだ遠くとあつたが、肥後路の季節は早く、菜の花も桜も今や満開、らんまんの春の姿である。しかしこの日は[#「この日は」は底本では「この月は」]珍しく北の風が出て雲低く、さきがけた春の出ばなをくじかれた思いで、天草への船が三角港を出帆したころは、粉雪さえ落ちはじめ、デツキに立つてもいられない程であつた。けれども船数の少い航路のこととて、船室はぎつしり満員なので、レインコートのえりをたて、僅かに風をふせぎながら右舷のふなべりにこしかけていた。北風が強いので、人々は船員の止めだてを聞かず、ともすれば左舷に片寄るので、船は傾き、気が気でない。しぜん旅なれない人たちだけが、その危さにおびえて、右舷に集るばかりであつた。
天草へは、はじめての旅だ。だから天草の地図にもうとく、おおよそ小さな島が二つ並んでいる所であろう位の地理的認識しか、持つていなかつた私である。ところが、三角港を出た船が、十分も航程を経ない中に、おびただしい島々のあるのに、私は先ず驚かされた。しかもその島々の自然的配置が面白く、恐らく火山島だろうと思われる、奇石怪岩がいたるところに散在して、後で聞いたが、天草松島といわれているのも、さこそとうなずかれる風景であつた。船は、無人島らしい島々の間を紆余曲折していく。私は、移り行く風景の面白さに、時に松島を思い[#「思い」は底本では「思ひ」]、時に瀬戸内海を航行した日のことを、思い出しながら、吹きつける北風と、舷側に散る水沫をさけていた。
大矢野島と千束島(この島は天草の乱の策源地といわれている)の間をぬけ、やがて上島近くにさしかかると、雲はいく分切れ、風も弱まつたようであつたが、波はいよいよ高く、時にもり上がるうねりに乗上げると、からだの中心を失いそうにさえなる。同時に、さつと白い飛沫がとび散る。外海――といつても有明海だが――に出ると、波のうねりは一段と高くなり、この位の連絡船では、とてもおし切れそうにも思われない。本渡町までの予定を変更して、大浦に上陸させようとした船会社の処置もうなずけるのであつた。
船室の中に二十四五の、下手な化粧の女がいた。船員が右舷に行つてくれ、といくら頼みこんでも一人位いいじやないのといつて、いうことを聞かないその女は、眼鏡をかけ、いわゆる現代的な女のタイプであつたが、どこからか、大浦上陸後のニユースをもつて来て、しきりに甲高にしやべりちらしていた。大浦から本渡までのバスが来ないですつて、橋がこわれているから、歩かなくちやならないわ、こまつたな、本渡まで七里よ、あんたどうする、歩いたら七時間かかるわ、真夜中までかかるわ、困つたな、などと、一人ではしやいでいるが、そのさわざ方があまり大げさなので、乗客も退屈しのぎに聞いている程度で、そう困つたような顔もしていな…