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長吏名称考
ちょうりめいしょうこう
作品ID49813
著者喜田 貞吉
文字遣い新字新仮名
底本 「先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選」 河出書房新社
2008(平成20)年1月30日
初出「民族と歴史 第二巻第四号」1919(大正8)年10月号
入力者川山隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-08-05 / 2014-09-16
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 エタをチョウリという地方が多い。文字に「長吏」と書く。或いはこれをチョウリンボウともいう。「長吏坊」で、長吏に「坊」という賤称を附したのである(「坊」という賤称の事は他日別に発表する予定)。
 長吏の名義は徂徠の「南留別志」に、張里の誤りなるべしとある。張里は馬医者の事だという。「燕石雑志」には、「鎌倉将軍の時に穢多の長を長吏と云ひけり」とあるも確かな出所を知らぬ。しかし鎌倉時代に既に長吏の称のあった事は、後に引く文書にも見えて確かな事だ。俗説にチョウリは町離で、エタを賤んで民家と雑居せしめず、町を離れた所に置いたからだとも、或いは丁離で、エタ村は道中の丁数に数えないからだなどとの説もあるが、もとより採るに足らぬ。
 長吏は文字の如く吏員の長たるものの称で、「撮壌集」官名の部に、「長吏」と出ている。三井寺では智証大師円珍が始めてこの職に補せられて以来、代々その長たるものを長吏と云っている。「拾芥抄」僧官の部に、

三井寺主 云二長吏一。聖護院・実相院・円満院、此三門輪転而被レ勤レ之。

 とある。叡山で座主、東寺で長者という類で、勧修寺でもやはりその最上席の僧を長吏と云っている。「勧修寺長吏次第」に、

或記云、真言・三論両度者被レ置レ之。当寺代々長吏兼二三論一、応二公請一畢云云。

 などある。
 賤者に対してこの称の見えるのは、管見の及ぶ限りでは鎌倉時代寛元二年三月の、奈良坂・清水坂両所の非人争議の文書である。

本寺(興福寺)奈良坂非人陳申、
清水坂非人等条々虚誕子細状。
一、彼状云、相二語当坂小法師原一、打二入当坂一、令レ殺‐二害長吏一畢云云。
陳申云。不レ知二子細一申状也。彼坂所住之非人等吉野法師、伊賀・越前・淡路法師等、無二指過一、為二長吏法師一被二追却一之刻、奈良坂宿仁来歎申之間云云。(古事類苑引)

 ここに長吏法師とは、清水坂の非人法師等の頭の称である。非人等の中には、法師姿をして、何々法師と称していたものが多い。東寺の散所法師とか、右の文書に見える小法師の類みなこれで、これらは沙門と賤者の関係を説く場合に詳論したい。
 右の文書に見えるものは京都清水坂の非人長吏の事であるが、他の非人の団体にも、それぞれ長吏というものがあったらしい。そしてそれが配下の非人を取締っていたものらしい。「見聞雑記」に、弘治二年文書に上州平野村長吏九郎左衛門、小田原長吏太郎左衛門訴訟の事がある。また、「弾左衛門由緒書」には、

私先祖摂津国池田より相州鎌倉へ罷下、相勤候処、長吏以下之者依レ為二強勢一、私先祖に支配被レ為二仰付一云云。
寅年(天正十八年)御入国之御時、私先祖武蔵国府中より罷出、鎌倉より段々相勤申候由緒申上候得共、御役等長吏以下支配被二仰付一候云云。

とも見えている。ここに長吏とは、非人に長たる者を云ったのである。元来エタと非人とは、もとさまで区別…

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