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道鏡皇胤論について
どうきょうこういんろんについて
作品ID49816
著者喜田 貞吉
文字遣い新字新仮名
底本 「先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選」 河出書房新社
2008(平成20)年1月30日
入力者川山隆
校正者しだひろし
公開 / 更新2010-09-29 / 2014-09-21
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

一 序言

 野人かつて「道鏡皇胤論」一編を京大史学会の雑誌史林の誌上で発表した事があった。要は道鏡が天智天皇の皇孫であるとの旧説を祖述し、これによって道鏡に纏わる幾多の疑問を合理的に解説して、以て我が皇統の尊厳をいやが上にも明らかにせんとするにあった。しかるにそれを見られた仏教連合会の当時の幹部の人々は、従来我が仏教がこの悪逆なる妖僧の為に被った冤罪も、この研究によりて幾分緩和せらるべきものとなし、これを複製して世間に頒布したいと申し出でられた。その趣意は、道鏡が臣籍の出として日本において開闢以来かつて他に類のない非望をあえてしたという事は、彼がまた一の僧侶であることから、我々仏教徒にとってことに遺憾に思い、仏教徒として特に肩身狭く感ずるところであった。しかるにそれがこの考証によりて、彼がうぶからの臣籍の者ではなかった事が明らかにせられた以上、彼が畏れ多くも天位を覬覦し奉った事についても、そこに幾分の理由が認められ、それが必ずしも彼が仏教徒であったが為ではないとの言い開きも立つ訳だというにあった。勿論彼が大それた非望を懐くに至った事が、必ずしも彼が仏教徒であったという理由からではなく、また彼がよしや皇胤であったとしても、それが決して彼の罪悪を軽減すべき理由とはならぬ。しかしながら野人のこの学説は既に学界に発表したものでもあり、今もなおそれを確信しているが上に、もしそれが仏教徒にとりて幾分でも従来負わされていたと感ずる重荷を軽くするに役立つものならば、必ずしも野人として敢えてそれを拒むべきものではなく、ことにその宣伝は我が皇統の尊厳なる事実を世間に知らしむる所以のものだと考えたので、読者に誤解を来さしめる様な記事を附け加えぬ条件の下に、潔く承諾した事であった。
 しかるにそのパンフレットが世間に広まったについて、歴史に素養なき人々の間にもそれが評判となり、中には本書を通読することなくして、伝聞に訛伝を加えた場合が多かったらしく、道鏡は皇位覬覦という様な不軌を図ったものでは無いとか、和気清麻呂の方がかえって不忠の臣であったとか、思いもよらぬ説が一部の人々の間に流布せられて、為に野人の身の上を案じて親切な注意を寄せられた人すらあった。すなわち世の誤解を防がんが為に、当時その趣意を簡単に記述して中外日報紙上に掲載を請うた事があったが、今もなおそんな誤解を有する人の無きにあらざるかを思い、ここにいささか補訂を加え、さらに註解を附記してその全文を収める事とする。精しくは大正十年十月発行の史林について見られたい。

二 道鏡問題に関する幾多の疑問

 大体道鏡が皇胤であるとしたところで、それですぐ彼は善人であったとか、不軌を図ったものではなかったとか、これを排斥した清麻呂はかえって不忠の臣だったとかいう様なことがどうして連想されるのであろうか。どこを押せばそんな妙な音が…

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