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間人考
まひとこう
作品ID49817
著者喜田 貞吉
文字遣い新字新仮名
底本 「先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選」 河出書房新社
2008(平成20)年1月30日
初出「歴史地理 第四四巻第四~第六号」1924(大正13)年10~12月号
入力者川山隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-08-10 / 2014-09-16
長さの目安約 44 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

一 はしがき

 我が古代の社会組織の上に「間人」という一階級があった。ハシヒト或いはマヒトと読ませている。この事については、自分がさきに「民族と歴史」を発行した当時、その第一巻第一号(大正八年一月)に、「駆使部と土師部」と題して簡単に説き及んでおいたことであったが、その後に阿波の田所市太君は、阿波における徳川時代の間人に関する棟附帳の抄録を、同誌五巻三号(大正十年三月)に報告せられ、周防の谷苔六君は、周防における同じ時代の門男百姓のことについて、同誌九巻五号(大正十二年五月)に発表せられるところがあった。「門男」はすなわち「間人」である。この谷君の発表に際して自分は、いずれそのうち間人とハチヤとを関連して、その後の研究を取り纏め、同誌上に発表してみたいとの事を予告しておいたのであったが、たまたま同年九月の震災の影響で、同誌は本誌と合併する事となり、自分の研究もつい心ならずそのままに放任されて、ついに今日に及んだのであった。すなわちここに「間人考」の下に、その予約を果したいと思う。
 間人とは文字の示す如く中間の人の義で、大体において良民と賤民との中間に位するということを示している。この名称は既に大化以前から存在し、近く徳川時代までも継続して、我が社会組織上常に重要なる一階級を成しておったのである。しかるにもかかわらず我が一般国史の研究者はもとより、特に我が社会史を専攻すと称する人々までが、従来思いを茲に致すこと至って少く、往々にしてこれを閑却するの嫌いがある如く見えるのは、大正学界の為に甚だ惜むべき次第である。すなわち煩雑を省みずなるべく多く諸書に散見する史料を網羅し、これに関係する事項を蒐集し、一つは世間の注意を喚起して以て類似の資料の報告を望み、一つは史家の参考に供して以てその研究の進歩を冀わんとする。その所述の一部が、既に発表したところと重複する点のあるのは御用捨に預りたい。要は前説を補って、さらにこれを精しくせんとするにある。

二 「間人」の文字とその読み方

「間人」の文字は旧事本紀天神本紀に初めて見えている。饒速日命の天降に随従した三十二人の供奉の人々の中に、天玉櫛彦命は間人連等祖とあるのがこれで、「間人」ここに「ハシビト」また「ハジウド」と訓ませてある。次に古事記欽明天皇の条に、皇女間人穴太部王というお方があり、その「間人」を寛永板刊本には「マヒト」と訓じ、中臣連胤蔵古写本には「ハシヒト」と読ませてある。そしてこの皇女の御事を法王帝説には穴太部間人王と書いてあるが、さらに日本紀同天皇二年の条には、これを[#挿絵]部穴穂部皇女に作り、その「[#挿絵]部」の古訓を「ハセツカベ」とある。しからば間人すなわち[#挿絵]部で、時にハセツカベとも呼ばれたと思われる。「[#挿絵]部」の語が「間人」の語と通じて用いられた事は、同じ皇女の御事を同書用明天皇元…

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