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人身御供と人柱
ひとみごくうとひとばしら
作品ID49818
著者喜田 貞吉
文字遣い新字新仮名
底本 「先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選」 河出書房新社
2008(平成20)年1月30日
初出「中央史壇 第一一巻第二号生類犠牲研究」1925(大正14)年8月
入力者川山隆
校正者しだひろし
公開 / 更新2010-10-04 / 2014-09-21
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 宮城二重櫓の下から白骨や古銭が出たので、やれ人柱だの、墓地であったのだろうだの、工事の際の傷死人を埋めたのであろうだのと、いろいろの説がある様だ。自分は単に新聞の報道でそれを知ったばかりで、まだ実地を知らないから、無論これに対して自信ある判断を下す事は出来ぬ。或いは自分の見た新聞の報道なるものが、幾分潤飾されていたものかもしれぬ。或いは誇大されていたのかもしれぬ。しかしながら、少くも自分の新聞を見て感じた限りでは、やはり所謂「人柱」の意味で埋められたものと解する。よしやそれが生埋めにしたのであったにせよ、或いは自殺し、もしくは自殺して後に埋めたのであったにせよ、或いは仮りにたまたま傷死した人をそこに埋めたのであったにもせよ、これをその建築物の下に埋めたという事が、ただちにこれを神に捧げた意味をあらわしているのではなかろうかと思う。いわんや古銭が伴っていたという事実あるにおいてをやだ。
 建築物を建てるに際しては、まず以て地鎮祭を行うのが例である。地鎮祭はすなわち地の神を祭るの行事で、それには何らかの供物を捧げるのが例である。先年奈良の大仏殿修繕の際に、須弥壇の柱の下から黄金造りの刀剣二口、鏡鑑、珠玉、その他種々の貴重な物品が発見された。興福寺の須弥壇からも珠玉その他種々の物が出た。これらはいずれも地鎮に際して、地の神に捧げた供物であらねばならぬ。後世これを手軽にする場合に、これに代うるに銭貨を以てする習慣の起ったのは、神社に賽銭を供えると同じ意味である。賽銭はすなわち供物代で、もとは神に奉仕するものに銭貨を委托して、適当なる供物を調進して捧げてもらうの意味である。そしてそれが転じて、地鎮の場合にもただちに銭貨を埋める事になる。この場合普通に永楽通宝を選ぶ様であるが、それは「永楽」という文字を喜んだに過ぎないので、必ずしも永銭とは限らない筈だ。
 人柱ということは、やはり供物として生きた人間を神に捧げるという意味にほかならぬ。すなわち地鎮の際における人身御供なのである。神が犠牲として人間を要求するという思想は、もと食人の風習から起ったのだという説もある。或いはそうかもしれぬ。延喜式にも毛の[#挿絵]物、毛の和物を供物とする事がその祝詞に見えている。毛の荒い獣類、毛の和かい獣類だ。古代には日本人も普通に獣肉を食した。特に鹿や猪を常食としたので、これを呼ぶに「シシ」すなわち肉の称を以てする程にもなっている。したがって神もそれを要求し給うものとして、所謂毛の[#挿絵]物毛の和物を供物として捧げるのである。神が人身御供を要求するのもそれと同じ意味で、もと人間に食人の習慣があったからだとの説明は、或いは一面無理ならぬところであるかもしれぬ。古代の支那人の間には食人の風習があったと言われる。今も野蛮民族の間には、それが現に行われている所もある。したがって神もそれを要求し…

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