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妻恋行
つまこいゆき
作品ID49829
著者三好 十郎
文字遣い新字旧仮名
底本 「三好十郎の仕事 第一巻」 學藝書林
1968(昭和43)年7月1日
初出「新潮」1935(昭和10)年2月号
入力者伊藤時也
校正者伊藤時也、及川 雅
公開 / 更新2010-05-31 / 2014-09-21
長さの目安約 35 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 さびれ切つた山がかりの宿のはづれ、乗合自動車発着所附近。上手に待合小屋、下手に橋。奥は崖、青空遠く開け、山並が望まれる。
 夏の終りの、もう夕方に近い陽が、明る過ぎる。よそ行きの装をした百姓爺の笠太郎が、手紙らしいものを右手に掴んで、待合の前に立ち、疲れ切つた金壺まなこを落込ませ、ヤキモキしながら延び上つては橋の向ふを注視してゐる。待合の板椅子の上には下駄を脱いであがり込んでペタンと坐つてゐる娘クミ。よそ行きの装に、見たところ少し唐突に思へる蝶々に結つた髪はよいが、ボンヤリして口を少し開いてゐるのは疲れ過ぎてゐるのだ。クミの膝を枕にしてクークー小さな寝息で眠つてしまつてゐるのは、十歳になる六郎少年で、これは後に出て来る区長の六平太の末の子である。右手に紙製の小さな聯隊旗を握つたままである。――間。

笠太 そんな筈、にやあて! 来にやあ筈、無あ。来にや……(しきりと延び上つて見る。――間。遠くに自動車のラツパの響)おい、あれだわい! あれだわい! (言ひながら橋の方へ走り出して行く。ラツパの響遠くなり消える。)あんだあ畜生、高井行きだあ。(戻つて来る。疲れてゐるので石につまづいてヒヨタヒヨタ倒れさうになるのをやつとこらえて)くそつたれ!
クミ ……もう帰ろよう、父う!
笠太 甚次といふもんは、チヤツケエ時分から口の堅い奴ぢやつた。まあ待て、来にや筈無え。
クミ そいでも昨日も朝から待つてゐて、おいでんならんに。処女会や青年団からまでああして出迎へん来て貰ふてさ、そいで、おいでんならんもの。私あ面から火が出よつた。
笠太 あやつ等は、甚次が来たら寄附ばして貰はうといふ下心で出迎へなんぞに来よつたんぢや。慾にからんでさらすで、油断ならんわ。甚次が昨日着かなくて却つて都合よかつたのだ。
クミ 父うぢやとて、慾ぢやが。
笠太 あにをつ[#挿絵] あにが、此のオタンコナスめ、貴様の亭主にならうと云ふ男ば迎へに出るが、あにが慾だ! 親の慈悲ば、ありがたいと思へ。
クミ ……(欠伸をして)くふん。甚次さんのお嫁さん、甚次さんのお嫁さんと云ふちや、処女会の人が私の事を、ひやかす。私あ、なんぼう、てれ臭いわ。
笠太 あにを! ぢや手前、甚次、嫌えか?
クミ 嫌えにも好きにも、顔も憶えちよらんに。
笠太 今に見ろ、今に見ろ。永年東京で磨き上げた男ぢやぞ、こねえな山ん中で山猿共の面ばつかり見てゐた手前の眼がでんぐり返らよ。ポーツと来ねえように気をたしかに持つちよれてば。アツハツハツハ。アハハハハ。(一人むやみと上機嫌に哄笑するのである)アハハハ。辺見笠太郎の体面に関すらよ。あんまりだらし無くおつ惚れんな。ハハハ。
クミ んでも、来なきや仕様あんめ。今日も、はあ、もうお日さんが一本松の股んとこまで落ちたで、日が暮れらね。(笠太郎ケロリと笑ひ止む)
笠太 読んで見ろ。これ読んで見ろ…

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