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旧聞日本橋
きゅうぶんにほんばし
作品ID4983
副題23 鉄くそぶとり(続旧聞日本橋・その二)
23 かなくそぶとり(ぞくきゅうぶんにほんばし・そのに)
著者長谷川 時雨
文字遣い新字新仮名
底本 「旧聞日本橋」 岩波文庫、岩波書店
1983(昭和58)年8月16日
入力者門田裕志
校正者松永正敏
公開 / 更新2003-08-10 / 2014-09-17
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 あんぽんたんとよばれた少女のおぼつかない記憶にすぎないが、時が、明治十六年ごろから多く廿年代のことであり、偶然にも童女の周囲が、旧江戸の残存者層であって、新文明の進展がおくれがちであったことなど、幾分記録されてよいものであったためか、先輩の推賞を得た拙著『旧聞日本橋』の稿を、ここにつづけることをよろこびといたします。

 お夜食におくれて、遅く帰って来た人のお菜に、天ぷらをとりにいった女中が、岡持のふたをあけながら、近所の金持ちの主人が、立食をしていたということを、
「お薬缶のようにテラテラ光って――」
といったので、台所に湯気をあげている銅薬缶の大きいのを見て、天ぷらやの屋台に立っていた、恰幅のいい、額の長く光った、金物問屋の旦那さんの顔を、あんぽんたんまでが思出して、一緒に笑った。
 堅気な町には、出前を重な蕎麦やがあるくらいなもので、田所町に蒲焼の和田平、小伝馬町三丁目にも蒲焼の近三、うまや新道から小伝馬町三丁目通りにぬける露地に、牛肉の伊勢重があるだけだった。
 現今は、人形町通りに電車が通り、道幅が広がっているが、人形町通りは大門通りと平行して竪に二筋ならんでいたのだが、大門通りの気風と、人形町とはまるで違っていた。人形町通りは、昔の三座や、その他の盛り場のあった名残りで、日本橋区中の繁華な場処なのに、大門通りは大商家が、暖簾をはずし、土に箒目をたてて、打水をすましてしまうと、何処もひっそりしてしまって、大戸をおろした店蔵の中では、帳合がすむと通いの番頭さんは住居に帰り、あとは夜学――小僧たちが居ねむりをしながら、手習や珠算の練習をやる。尤も、大門通りは名のごとく万治の昔、新吉原へ廓が移けない前の、遊女町への道筋の名であるゆえか、大伝馬町、油町、田所町、長谷川町、富沢町と横筋にも大問屋を持つ五、六町間の一角だけがことに堅気な竪筋なので、住吉町、和泉町、浪花町となると、葭町の方に属し、人形町系統に包含され、柔らいだ調子になって、向う側の角から変ってくるのが目にたっていた。そして、劃然とではないが、もうそのあたりは大門通りとはよばなかった。大門通りの突当りといった。突当りの感じのするように和泉町が押出していてそれから道幅がせまくなり、ゴミゴミした裏に、松島町の長屋があったのだ。
 大門通りでは、屋台店も、表筋の道路へは遠慮して出なかった。横町の、人形町側へ出はずれかける場所に、信用されている品のよい店が秋から春まで一、二軒出た。
 屋台店の立食は、湯がえりの職人か、お店の人の内密食、そのほかは、夜長の、夜業をしまったあとで時折買うものだと、大問屋町の家庭では下女たちまで、そんなふうに堅気にしこまれていたので、大所の旦那さんの天ぷらの立食は、なんとまあ呆れたものだというわけだったのだ。示しがつかないでございましょうとお爨どんでさえいうのだ。
 立食旦那…

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