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猫の蚤とり武士
ねこののみとりぶし
著者国枝 史郎
文字遣い新字新仮名
底本 「猫の蚤とり武士(下)」 国枝史郎伝奇文庫、講談社
1976(昭和51)年8月12日
「猫の蚤とり武士(上)」 国枝史郎伝奇文庫、講談社
1976(昭和51)年8月12日
初出「夕刊大阪新聞」1934(昭和9)年8月7日~12月28日
入力者阿和泉拓
校正者酒井裕二
公開 / 更新2020-10-10 / 2020-09-28
長さの目安約 383 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

蚤とり武士

「蚤とりましょう。猫の蚤とり!」
 黒の紋付きの着流しに、長目の両刀を落として差し、編笠をかむった浪人らしい武士が、明暦三年七月の夕を、浅草の裏町を歩きながら、家々の間でそう呼んだ。
 お払い納め、すたすた坊主、太平記よみ獣の躾け師――しがない商売もかずかずあるが、猫にたかっている蚤を取って、鳥目をいただいて生活という、この「猫の蚤とり」業など、中でもしがないものであろう。
 町人百姓でもあろうことか、両刀さした武士の身分で、この賤業にたずさわるとは、よくよくの事情があるからであろう。
「蚤とりましょう、猫の蚤とり!」
 蚤とり武士は歩いて行く。
 と、一軒の格子づくりの、しもた家らしい家の奥から、
「もし蚤とりさん、取っていただきましょう」
 と、老けた女の呼ぶ声が聞こえた。
「へい、お有難う存じます」
 と、何んとこの武士の気さくなことか、板についた大道の香具師の調子で、そう云いながら格子戸をあけた。
 乳母らしい老女が烏猫を抱いて、三畳の取次ぎに坐ってる。その背後にこの家の娘でもあろう、十八、九の小肥りの可愛らしい娘が、好奇の眼を張って立っていた。
「ま、これはお武家様で」
 はいって来た蚤とり武士を見ると、乳母は驚いて叫ぶように云った。
「身分は武士、業は蚤とり、浮世はさまざま、アッハッハッ……おお、おおこれは可愛らしい猫で。年齢は一歳か。二、三ヵ月越すか。その辺の見当でありましょうな……蚤に食わせては可哀そうじゃ。どれどれ取って進ぜよう。……が、ちとばかり無心がある。……湯をつかわせていただきたいもので」
 武士は上がり框へ腰をかけて云った。
「湯をつかわせとおっしゃいますと?」
「ナニさ、その猫に風呂をあびさせることじゃ」
「おやまあさようでございましたか」
 乳母は奥へ引っ込んだが、間もなく行水を使ったらしい猫の、濡れた体を吊るしながら、三畳の間へ帰って来た。
 その間に武士は腰に巻いて差した、白猫の皮の鞣したのを取り出し、畳の上へ延ばしたが、
「では拝借」
 と猫を受け取り、皮でクルクルと引っ包み、その上を片手でそっと抑えた。
 扱い方にコツがあると見えて、猫は啼きもせず足掻きもせず、皮の外れから顔を出し、金色の眼で武士を眺め、緋の編紐の巻いてある咽喉を、ゴロゴロ鳴らして静もっていた。
 編笠ごしに家の奥を、それとなく武士は窺ったが、
「ひそやかな生活、結構でござるな」
「人が少のうございますので」
「お嬢様かな、背後におられるのは」
「はいさようでございます」
「ご主人ご夫婦に娘ごにそなた、下女一人に下男一人――といったようなお生活ではござらぬかな」
「よくご存知、さようでございます」
 薄気味悪いというように、乳母は武士をジロジロ見た。
「アッハッハッ」
 と、武士は笑った。
「ナニさ商売道によって賢く、猫の蚤とりのこの業で…

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