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灰色の眼の女
はいいろのめのおんな |
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作品ID | 49847 |
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著者 | 神西 清 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「雪の宿り 神西清小説セレクション」 港の人 2008(平成20)年10月5日 |
初出 | 「思索」1946(昭和21)年10月 |
入力者 | kompass |
校正者 | 小林繁雄、門田裕志 |
公開 / 更新 | 2012-02-02 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 84 ページ(500字/頁で計算) |
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1
埴生十吉が北海道の勤め口を一年たらずでやめて、ふたたび東京へ舞戻つてきたのは、192*と永いあひだ見馴れもし使ひなれもした字ならびが変つて、計算器の帯が二本いちどきに回転するときのやうに、下から二た桁目に新たな3の字がかちりと納つた年の、初夏のことであつた。遊んで暮してゆける身分でもないので、ロシヤ語を少々かじつてゐたのをたよりに、小石川にある或る東洋学関係の図書館に、なかば自宅勤務の形でつとめることになつた。蒙古の民俗を扱つたロシヤ語の文献の日録を、整理したり翻訳したりする役目である。
この仕事を、大して興味をもつでもなしにぼつぼつやつてゐるうち、その夏も峠をこした或る日のこと、学校の先輩でもあり、一部は恩師でもある小幡氏から、至急に会ひたいと電話の呼出しがかかつた。指定された丸の内の何とかいふ倶楽部の一室で待つてゐると、廊下の方で、二三人の連れ――その中にはどうやら外国人もまじつてゐるらしい――と別れの言葉をかはしてゐる聞き覚えのあるきびきびした声がきこえて、やがて白い麻服姿の小幡氏が、相変らずの颯爽たる足どりではいつて来た。
一口にいへば小幡氏は、日本人にはちよつと珍しいきちりとした紳士である。それもイギリス型の紳士といふと、長身瀟洒のうちにもどことなく燻しのかかつた、悪くいへば些か爺むさい、良くいへば鷹揚な――さうしたところのあるのが定石らしいが、小幡氏のはそれとは裏はらに、小型でぴりりとした生地に、一種のスノビスムの加はつた別様の紳士ぶりである。この種の伊達は、どうしても一味南欧的な頽廃と相通ずる気味のあるのを免れない。小幡氏にもそれはあるが、持ち前の短気と負けじ魂とで、あやふい一線に手綱をひきしめてゐる。
それまで十吉が接してゐたのは、教師としての小幡氏であつた。とはいへ某銀行のローマ支店づとめを振出しに、やがて河岸をかへてバルカン方面で、永年のあひだ総領事などを勤めて来た半生の経歴は、私立の植民学院の語学と貿易事情の講師でもやりながら一時をしのぐといつた失意の境遇にあつたその頃の氏は、不調和も度をすぎて寧ろ滑稽感をかもし出すほどの水際だつた風貌をあたへてゐた。当時、なにか青春のやり場にこまつて、仲間のうちの流行になつてゐた語学放浪の渦にまき込まれてゐた十吉は、気まぐれに籍を置いてみたその学院の夜間部で、二年ほど小幡氏からセルボ・クロアート語の手ほどきを受けたことがある。
それなりで切れたと思つてゐた縁が、小幡氏一流のするどい記憶のはたらきで、手ばやく結び直された。それが倶楽部の会見になつたのだ。まだまだ盛んな頃、神戸行特急の食堂車に外交官仲間三人で坐り込んだなり、ビールから始めてウィスキーの最後の一滴に至るまで、文字どほりの棚ざらひをやつてのけて、乗務生活十年といふボーイ頭から最高レコードの折紙を奉られたほどの酒豪でありながら、…