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母たち
ははたち
作品ID49848
著者神西 清
文字遣い新字旧仮名
底本 「雪の宿り 神西清小説セレクション」 港の人
2008(平成20)年10月5日
初出「文學界」1936(昭和11)年9月号
入力者kompass
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2012-01-24 / 2014-09-16
長さの目安約 89 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

[#ページの左右中央]


           ……無常の人間に知られずに
隠れてゐて、わたし共も名を云ひたくない神です。 
その家へ往くには、あなた余程深く摩り込むのです。
そんな物に用が出来たのは、あなたのせゐだ。   
           ――『フウアスト[#「フウアスト」はママ]』第二部


[#改ページ]



 二つの死が私たちの結婚に先立つた。私たちは幼児の心を喪つた婚約者だ。しかし、もはや私たちのあひだには、胸をときめかす何の珍らしい期待もない、といふ君のことばは、正しいだらうか。どうかそれが、君の疲労の語らせた言葉にすぎないことを祈る。
 君の思ひがけない失神、T博士の診断、そしてF高原への転地……つめたい言ひ方かも知れないが、君は自分の生理に愕いたにすぎないのではないだらうか。君や君の母上の最近のたよりによると、君はすでに恢復期を終らうとして、カルシウム注射の痛さもやつと間遠になつたといふ話だけれど、肉体の疲労はまだ君のこころの襞々に潜んでゐて、時たまああした言葉をささやくのではないのか。それを死の影響と思ひ過ごしてはいけない。死ののこした痕跡は、もしあるとすればもつと深い場所にあるはずだ。
 だが死の痕跡は君のなかに、ひよつとしたら全く無いのではあるまいか。私はさう信じようとし、また疑ひなほす。実はこの逡巡が、君のたびたびの便りに返事を書けなくさせたのだが、それとても私は気づいてゐなかつたのではない――君をこの眼で見、よし一時間でも一緒に坐つてゐれば、おそらく見きはめはつくだらうことに。……しかもこの三月のあひだ、遠くもないF高原を一ぺんも訪ねずにゐたのには、ほかに訳があつたのだ。
 本当をいふと、私は自分が怖かつたのだ。自分の異常な状態に気づいてゐたのだ。私はつとめて自分の心の硬さを信じようとしながらも、やはり死や死に伴ふ事情の生みだす醜い心の波立ちから、全く免れることはできなかつた。いやそれは、人一倍はげしかつたかも知れないのだ。やがて埋葬のあとに来た東京の烈しい夏が、そのやうな私を燬いた。なまじ心の硬さといふものは、ある場合にはかへつて逆羽の鱗になつてわが身につき刺さるものだといふことを、私は自分の思ひ知るにまかせて置いた。
 私は自分の異常さによつて君をまで傷つけようとは思はない。
 いま季節は終らうとして、秋口の陽のつよさに、裏の鶏頭が空しく血を吐いてゐる。それはこのひと夏、私が荒々しい日々をともにして来た奴らなのだが、しかし眼をとぢて静かにしてゐると、さすがに四囲の空気は冷え冷えして来たやうだ。これでよい、と私は自分にいふ。次第に澄んでくる心の水面には、成長のなだらかな息づかひ、必然の潮のさしひきのほかには、揺れうごく影も稀だ。ひよつとしたらこの静謐は、ふたたび間近に迫らうとしてゐる暴風の準備をしてゐるのかも知れぬ。そ…

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