えあ草紙・青空図書館 - 作品カード
楽天Kobo表紙検索
屋久島紀行
やくしまきこう |
|
作品ID | 4989 |
---|---|
著者 | 林 芙美子 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「現代紀行文學全集 第五卷 南日本篇」 修道社 1958(昭和33)年9月15日 |
初出 | 「主婦之友」1950(昭和25)年7月 |
入力者 | 林幸雄 |
校正者 | 鈴木厚司 |
公開 / 更新 | 2006-10-29 / 2016-02-03 |
長さの目安 | 約 24 ページ(500字/頁で計算) |
広告
広告
鹿兒島で、私たちは、四日も船便を待つた。海上が荒れて、船が出ないとなれば、海を前にしてゐながら、どうすることも出來ない。毎日、ほとんど雨が降つた。鹿兒島は母の郷里ではあつたが、室生さんの詩ではないけれども、よしや異土の乞食とならうとも、古里は遠くにありて、想ふものである。
雨の鹿兒島の町を歩いてみた。スケッチブックを探して歩いた。町の屋根の間から、思ひがけなく、大きくせまつて見える櫻島を美しいと見るだけで、私にとつては、鹿兒島の町はすでに他郷であつた。空襲を受けた鹿兒島の町には、昔を想ひ出すよすがの何ものもない氣がした。宿は九州の縣知事が集まるといふので、一日で追はれて、天文館通りに近い、小さい旅館に變つた。鹿兒島は、私にとつて、心の避難所にはならなかつた。何となく追はれる氣がして、この思ひは、奇異な現象である。
私は早く屋久島へ渡つて行きたかつた。
實際、長く旅をつゞけてゐると、何かに滿たされたい想ひで、その徴候がいちじるしく郷愁をかりたてるものだ。泰然として町を歩いてはゐるが、心の隅々では、すでにこの旅に絶望してしまつてゐることを知つてゐるのだ。一種の旅愁病にとりつかれたのかもしれない。
四日目の朝九時、私達は、照國丸に乘船した。第一棧橋も、果物の市がたつたやうに、船へ乘る人相手の店で賑つてゐる。果物はどの店も、不思議に林檎を賣つてゐるのだ。白く塗つた照國丸は千トンあまりの船で、屋久島通ひとしては最優秀船である。
曇天ではあつたが、航海はおだやかさうであつた。この船では、一等機關士の方の好意で、誰よりも早く乘船する便宜を受けた。デッキに乘り込んだ人達が、どの人も、金魚鉢を手にぶらさげてゐた。種子島や、屋久島には金魚がないのかも知れない。薄陽の射したデッキのベンチに、どの人の手にも、小さい金魚鉢がかゝへられてゐるのは、何となく牧歌的である。
航海はおだやかであつた。
晝の二時頃、種子島へ着くのださうだ。
遠い昔、マルセイユから乘つたはるな丸に、照國丸は似てゐた。このまゝ何處へでもいゝから、遠くの國外へ向つて航海して行きたい氣がした。久しぶりに廣い海洋へ出て、私は、鹿兒島での息苦しさから解放された。鉛色の空と海の水路を、ひたすら進むことに沒頭してゐるのは、この船だけである。島影一つ見えない。私はこのまゝ數日を海上で送つてみたいと思つた。ポール・ゴオガンのやうに、船がタヒチへでも向つて行つてゐるやうな、一種の堪へ難い待ち遠しさも、私は屋久島に感じ始めてゐるのだ。
屋久島とはどんなところだらう……
現在の日本では、屋久島は、一番南のはづれの島であり、國境でもある。種子島を[#挿絵]り、屋久島が見える頃には、このあたりの環礁も、なまあたゝかい海風に染められてゐるであらう。すばらしい港はないとしても、私は何も文明的なものを望んでゐるわけではない…