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しろ
作品ID49892
著者和辻 哲郎
文字遣い新字新仮名
底本 「和辻哲郎随筆集」 岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年9月18日
初出「思想」1935(昭和10)年7月号
入力者門田裕志
校正者米田
公開 / 更新2011-01-12 / 2014-09-21
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 大地震以後東京に高層建築の殖えて行った速度は、かなり早かったと言ってよい。毎日その進行を傍で見ていた人たちはそれほどにも感じなかったであろうが、地方からまれに上京する者にはそれが顕著に感ぜられた。六、七年前銀座裏で食事をして外へ出たとき、痛切にシンガポールの場末を思い出したことがある。往来から夜の空の見える具合がそういう連想を呼び起こしたのかと思われるが、その時には新しく建設せられる東京がいかにも植民地的であるのを情けなく思った。しかしその後二年もたつとシンガポールの場末という感じはなくなった。おいおい高層建築が立ち並ぶに従って、部分的には堂々とした通りもできあがって来た。全体としては恐ろしく乱雑な、半出来の町でありながら、しかもどこかに力を感じさせる不思議な都会が出現したのである。
 この復興の経過の間に自分を非常に驚かせたものが一つある。二、三年前の初夏、久しぶりに上京して東京駅から丸の内の高層建築街を抜けて濠側へ出たときであった。濠に面して新しい高層建築が建てそろっている。ここがあの荒れ果てた三菱が原であった時分から思うと、全く隔世の感がある。しかし自分を驚かせたのはこの建て並んだ西洋建築ではない。これらはまことに平凡をきわめたものである。そうではなくしてこれらの建築に対し静かに眠っているようなお濠の石垣と和田倉門とが、実に鮮やかな印象をもって自分を驚かせたのである。柔らかに枝を垂れている濠側の柳、淀んだ濠の水、さびた石垣の色、そうして古風な門の建築、――それらは一つのまとまった芸術品として、対岸の高層建築を威圧し切るほどの品位を見せている。自分は以前に幾度となくこの門の前を通ったのであるが、しかしここにこれほどまで鮮やかな芸術を見いだしたことはなかった。その後この門が修築せられたにもしろ、以前とさほど形を変えたわけではない。何がこのように事情を変ぜしめたのであろうか。ほかでもない、濠側に並んだ高層建築なのである。それが明白に異なった様式をもって石垣と門とに対立したとき、石垣や門はいわば額縁の中に入れられた。すなわちそれらは f[#挿絵]r sich になった。そこで石垣や門の持っている固有の様式がまた明白に己れ自身を見せ始めたのである。石垣や門の屋根などの持っている彎曲線は、対岸の西洋建築には全然見いだされないものである。石垣の石の積み方も、規格の統一とはおよそ縁のない、また機械的という形容の全然通用しない、従ってそれぞれの大きさ、それぞれの形の石に、それぞれその場所を与えたあの悠長なやり方である。それらはもはや現代には用いられ得ぬものであるかもしれない。しかしそれによって形成せられた一つの様式がその特殊の美を持つことは、消し去るわけには行かないのである。
 復興された東京を見て回って感じさせられたことも、結局はこれと同じであった。巨大な欧米風建築…

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