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自己の肯定と否定と
じこのこうていとひていと |
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作品ID | 49893 |
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著者 | 和辻 哲郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「偶像再興・面とペルソナ 和辻哲郎感想集」 講談社文芸文庫、講談社 2007(平成19)年4月10日 |
初出 | 「反響」1914(大正3)年4月 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2011-05-13 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 11 ページ(500字/頁で計算) |
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自分にとっては、強く内から湧いて来る自己否定の要求は、自己肯定の傾向が隈なく自分を支配していた後に現われて来た。そうしてそれは自分を自己肯定の本道に導いてくれそうに思われる。
自我の尊重、個人の解放、――これらの思想はただ思想として自分の内にはいって来たのではなかった。小供の時から自分の内に芽生えていた反抗の傾向――すべての権威に対する反抗の気風はこれらの思想によって強い支柱を得、その結果として自尊の本能が他の多くの本能を支配するようになった。外から与えられたように感ぜられる命令、――この事をしろとかあの事をしてはならぬとかいう命令はすべて力のないものに見え、ただ自分の意欲することのみが貴いと思った。自分の内から出てやる自己否定という如きものも、実は内に喰い入っている外来の権威への屈服であると思っていた。それとともに自分の傾向や自分と偉大なる者との間の距離などは全然見えなくなってしまった。自分にだってそれは出来る、ただそれを実現していないだけだ、――すべての事に対してそういう気持ちがあった。
無批評に自分の尊貴を許すということは、自分の内に蟠っている多くの性質の間の関係をことごとく変化せしめた。これまでは調和がとれていた故に現われなかった性質が調和の破れるとともに偏狭に現われて来た。自分の内には、自分の運命に対する強い信頼が小供の時から絶えず活らいていたけれども、またその側には常に自分の矮小と無力とを恥じる念があって、この両者の相交錯する脈搏の内にのみ自分の成長が行われていたのであるが、この時からその脈搏は止まってしまった。自己の価値はもはや問題にならなくて、どんなものでも、またどんなにそれが偏狭であっても、とにかく自己として現われてくる者は皆一様に絶対の価値を担っていると信じていた。
そうして自分はどうなったか。自分は独我主義の思想を体現したのである。外容はとにかく、すべての人および物に対して自分の心持ちは頑固に自尊の圏内を出でなかった。人および物に対する同情と理解との欠乏は、自分の心の全面に嘲笑と憤怒とを漲らしめた。人に頼ることを恥じるとともに、人に活らき掛けることをも好まなかった。孤立が誇りであった。友情は愛ではなくてただ退屈しのぎの交際であった。関係はただ自分の興味を刺戟し得る範囲に留まっていた。愛の眼を以て見れば弱点に気づいてもそれを刺そうという気は起らないが、嘲りの眼を以て見れば弱点をピンで刺し留めるのが唯一の興味である。それ故人に対する時自分の心の面には常に弱所を突こうとする欲望があった。またすべての愛は自愛に帰納せられた。人を愛する心持ちがどんなに強く自分の内に起って来ようとも、それを自愛まで持って行かなければ満足が出来なかった。
この時自分の解していた「自己肯定」より見れば自分のこの傾向は至極徹底的であった。すべての人が自分を捨て…