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人物埴輪の眼
じんぶつはにわのめ
作品ID49894
著者和辻 哲郎
文字遣い新字新仮名
底本 「和辻哲郎随筆集」 岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年9月18日
初出「世界」1956(昭和31)年1月号
入力者門田裕志
校正者米田
公開 / 更新2011-01-20 / 2014-09-21
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 埴輪というのは、元来はその言葉の示している通り、埴土で作った素焼き円筒のことである。それはたぶん八百度ぐらいの火熱を加えたものらしく、赤褐色を呈している。用途は大きい前方後円墳の周囲の垣根であった。が、この素焼きの円筒の中には、上部をいろいろな形象に変化させたものがある。その形象は人間生活において重要な意味を持っているもの、また人々が日ごろ馴れ親しんでいるものを現わしている。家とか道具とか家畜とか家禽とか、特に男女の人物とかがそれである。伝説では、殉死の習慣を廃するために埴輪人形を立て始めたということになっているが、その真偽はわからないにしても、とにかく殉死と同じように、葬られる死者を慰めようとする意図に基づいたものであることは、間違いのないところであろう。そういう埴輪の形象の中では、人物、動物、鳥などになかなかおもしろいのがある。それをわれわれは、わが国の古墳時代の造形美術として取り扱うことができるのである。
 わが国の古墳時代というと、西暦紀元の三世紀ごろから七世紀ごろまでで、応神、仁徳朝の朝鮮関係を中心とした時代である。あれほど大きい組織的な軍事行動をやっているくせに、その事件が愛らしい息長帯姫の物語として語り残されたほどに、この民族の想像力はなお稚拙であった。が、たとい稚拙であるにもしろ、その想像力が、一方でわが国の古い神話や建国伝説などを形成しつつあった時に、他方ではこの埴輪の人物や動物や鳥などを作っていたのである。言葉による物語と、形象による表現とは、かなり異なってもいるが、しかしそれが同じ想像力の働きであることを考えれば、いろいろ気づかされる点があることと思う。
 神々の物語にしても、この埴輪の人物にしても、前に言ったようにいかにも稚拙である。しかし稚拙ながらにも、あふれるように感情に訴えるものを持っていることは、否むわけに行かない。それについてまず第一にはっきりさせておきたいことは、この稚拙さが、原始芸術に特有なあの怪奇性と全く別なものだということである。わが国でそういう原始芸術に当たるものは、縄文土器やその時代の土偶などであって、そこには原始芸術としての不思議な力強さ、巧妙さ、熟練などが認められ、怪奇ではあっても決して稚拙ではない。それは非常に永い期間に成熟して来た一つの様式を示しているのである。しかるにわが国では、そういう古い伝統が、定住農耕生活の始まった弥生式文化の時代に、一度すっかりと振り捨てられたように見える。土器の形も、模様も、怪奇性を脱して非常に簡素になった。人物や動物の造形は、銅鐸や土器の表面に描かれた線描において現われているが、これは縄文土器の土偶に比べてほとんど足もとへもよりつけないほど幼稚なものである。こういう弥生式文化の時代が少なくとも三世紀ぐらい続いたのちに、初めて古墳時代が現われてくるのであるから、埴輪が縄文土器…

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