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転向
てんこう
作品ID49901
著者和辻 哲郎
文字遣い新字新仮名
底本 「偶像再興・面とペルソナ 和辻哲郎感想集」 講談社文芸文庫、講談社
2007(平成19)年4月10日
初出「新小説」1916(大正5)年5月
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2011-06-30 / 2014-09-16
長さの目安約 22 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 過去の生活が突然新しい意義を帯びて力強く現在の生活を動かし初めることがある。その時には生のリズムや転向が著しく過去の生活に刺激され導かれている。そうしてすべての過去が「過ぎ去って」はいないことを思わせる。機縁の成熟は「過去」が現在を姙まし、「過去」が現在の内に成長することにほかならなかった。今にして私は「過去を改造する意欲」の意味がようやくわかりかけたように思う。
「過去」の重荷に押しつぶされるような人間は、畢竟滅ぶべき運命を担っているのであった。忘却の甘みに救われるような人間は、「生きた死骸」になるはずの頽廃者に過ぎなかった。潰滅よりもさらに烈しい苦痛を忍び、忘却が到底企て及ばざる突破の歓喜を追い求むる者こそ、真に生き真に成長する者と呼ばるべきであった。心が永遠の現在であり、意識の流れに永遠が刻みつけられていることを、ただこの種の人のみがその生活によって証明するだろう。



 かつて親しくIやJやKなどに友情を注いだという記憶が私を苦しめる。彼らを「愛した」ゆえに悔やむのではない。「彼らの内に」自分を見いだしたことがたまらなくいやなのである。しかし私は自分の内に彼らと共鳴するもののあったことを――今なおあることを拒むことができない。それゆえになおさらその記憶が私を苦しめる。かつて私はあの傾向に全然打ち敗けていたに相違なかった。
 けれどもまた彼らから断然冷ややかに遠のいた記憶が同じように私を苦しめる。(もちろんその苦しみはこの転向の二三年後に初まった。そうして恐らく新しい転向を準備してくれるのだろう。私はそれを望む。)――とにかく私は自分の愛があまりに狭く、あまりに主我的ではなかったかを疑い始めた。私は彼らの「傾向」を憎んでも人間を憎むべきではなかった。彼らの傾向を捨てても人間を捨てるべきではなかった。私は道を求めつつ道に迷ったように思う。
 私は徹底を欲して断然身を処した。そうして今はその徹底のなかから不徹底の生まれ出たのを見まもっている。私は二つの苦しみのいずれからも脱れることができない。



 何ゆえに私は彼らを愛したか。
 第一の理由は直接的である。私は彼らが好きであった。彼らの顔を見、彼らと語ることが限りなく嬉しかった。そうして私は彼らの内に勇ましい生活の戦士を見、生の意義を追い求める青年の焦燥をともにし得ると思った。彼らの雰囲気が青春に充ち、極度に自由であることをも感じた。彼らの粗暴な無道徳な行為も、因襲の圧迫を恐れない真実の生の冒険心――大胆に生の渦巻に飛び込み、死を賭して生の核実に迫って行く男らしい勇気の発現として私の眼に映った。かくて私は彼らの人格と行為とのすべてに愛着を持ち続けた。
 私は私の心を常に彼らの心に触れ合わせようと欲した。しかし時のたつとともに、私は彼らがシンミリした愛情を求めていないのに気づいた。彼らが尚ぶ…

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