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日本精神史研究
にほんせいしんしけんきゅう
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「日本精神史研究」 岩波文庫、岩波書店
1992(平成4)年11月16日
「和辻哲郎全集 第四巻」 岩波書店
1989(平成元)年
初出推古時代における仏教受容の仕方について「思想」1922(大正11)年7月<br>仏像の相好についての一考察「思想」1922(大正11)年5月<br>『万葉集』の歌と『古今集』の歌との相違について「思想」1922(大正11)年8月<br>お伽噺としての『竹取物語』「思想」1922(大正11)年11月<br>『枕草紙』について「思想」1922(大正11)年9月<br>『枕草紙』の原典批評についての提案「思想」1922(大正11)年9月<br>『源氏物語』について「思想」1922(大正11)年12月<br>「もののあはれ」について「思想」1922(大正11)年10月<br>歌舞伎劇についての一考察「思想」1922(大正11)年4月
入力者門田裕志
校正者荒木恵一
公開 / 更新2017-12-26 / 2017-12-10
長さの目安約 419 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

改訂版序


 今度版を新たにするに当たり、全体にわたって語句の修正を施し、二、三の個所にはやや詳しく修補を加えた。が、根本的に変更したものはない。もともと習作的な論文を集めたものであるから、根本的な改修は不可能である。自分が念としたのはできるだけ誤謬を少なくすることであった。
昭和十五年二月
著者
[#改丁]

序言


 自分は『日本古代文化』の発表以後、それにつづく種々の時代の文化を理解せんと志し、芸術、思想、宗教、政治の各方面にわたって、おぼつかない足どりながらも、少しずつ考察の歩をすすめた。そのころ東洋大学における日本倫理史、後には法政大学における日本思想史の講義の草案として、在来この種の題目の著書にほとんど取り扱われていない飛鳥寧楽時代乃至鎌倉時代に特に力を注ぎ、雑駁ながらも幾分の考えをまとめてみたのであるが、その講案の副産物として、やがては日本精神史のまとまった叙述に役立つであろうとの考えから、ほとんど未定稿のごとき状態で発表したのが本書に集録せる諸論文である。だからそれらはさらに綿密な研究によって書きかえられ、日本精神史の叙述のうちにそれぞれその位置を持つはずであった。ところが考察をすすめるに従って仏教思想がいかに根深くこれらの時代の日本人の精神生活の根柢となっているかを見いだし、仏教思想の大体の理解なくしては考察を進め得ざるに至った。そこで自分はシナ仏教の理解によって、それがいかに日本人に受容され、いかなる意味で鎌倉時代の新運動となったかを理解せんと志したのであったが、シナ仏教の理解はインド仏教の理解なくしては不可能であり、結局原始仏教以来の史的開展を理解することによってのみシナ日本における仏教思想の特殊性が理解せられ得るものであることを悟るに至った。自分はかかる理解を、権威ありとせらるる先輩の著書によって得ようと試みた。が、不幸にも自分は自ら根本資料について研究すべき必要に押しつけられた。それは最初の目的にとってははなはだまわり道であるが、しかしこれを理解せずには考察を進め得ないと悟った以上、まわり道であっても仕方がない。のみならず学問としては日本精神史を明らかにするのも仏教思想を明らかにするのもその間に軽重の差があるとは思えない。かくして自分は日本精神史の叙述からは横道にそれ、右の諸論文は手を触れらるることなく数年間捨て置かれた。さらに幾年捨て置かれるか知れない。しかし自分のうちには、一つの時期を記念するものとして、これらの小篇を愛惜するこころがある。またこの種の問題を追究する人々にとっては、これらの未熟な研究も幾分の参考となるであろう。さらにもしこの書によって識者の叱正を得ることができたならば、自分の将来の研究にとって幸福である。かく考えて自分は、ほとんど未定稿のごとき状態のままで、これらの論文をここに輯録し世に問うのである。
 本書…

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