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浅瀬に洗う女
あさせにあらうおんな |
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作品ID | 49922 |
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著者 | マクラウド フィオナ Ⓦ |
翻訳者 | 松村 みね子 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「かなしき女王 ケルト幻想作品集」 ちくま文庫、筑摩書房 2005(平成17)年11月10日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 匿名 |
公開 / 更新 | 2012-09-12 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 16 ページ(500字/頁で計算) |
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一
琴手トオカルがその友「歌のアイ」の死をきいた時、彼は三つの季節、即ち青い葉の季節、林檎の季節、雪の季節のあいだ、友のために悲しむ誓いを立てた。
友の死は彼を悲しませた。アイは、まことは、彼の国人ではなかった、しかしトオカルが戦場で倒れた時、アイは琴手の生命を救ったのであった。
トオカルは北の国ロックリンの生れであった。トオカルの歌は海峡や不思議な神々の歌、剣といくさ船の歌、赤い血とましろい胸と、オヂンや虹の中に座をしめている夢の神の歌、星のかがやく北極の歌、極地のほとりに迷ううす青とうす紅の火焔の歌、そしてヴァルハラの歌であった。
アイは西のあら海のとどろきの中に震え立っている南の島に生れた。母はアイルランドの王族の女であった。
アイの歌はやさしかった。彼は愛し、うたい、やがて死んだ。
アイの友トオカルがこの悲しみを知った時、彼は立って誓いをし、自分の住家を捨ててまたと帰らない旅路に出たのであった。
かの戦いの日からトオカルは目しいていた。その時から彼はトオカル・ダルと世に呼ばれて、その琴は仙界の風のひびきを持つようになり、谷間を下りながら弾く時、浜辺の砂山にのぼって弾く時、風の歌を弾く時、草の葉のささやきを弾く時、樹々のひそめきを弾く時、海が夜のやみに叫ぶうつろの声を弾く時、あやしく美しい音を立てた。
肉眼の見えないためにトオカルはよく見たり聞いたりすることが出来ると言われていた。ほかの人たちの見ない聞かない何を聞き何を見ていたのだろう、それは琴いとにためいきする或る声から見たり聞いたりするのだと人は言っていた。
トオカルが旅に出かけようとする時、王は訊いた、彼の血のうたうままに北に向いてゆくか、彼の心の叫ぶままに南に向いて行くか、それとも、死者のゆくように西に向いて行くか、光の来るように、東に向いてゆくかと。
「私は東に行く」トオカル・ダルが言った。
「なぜ東にゆく、トオカル・ダル」
「私はいつも暗い、光の来る方に行きましょう」
ある夜、西から風が吹いている時、琴手トオカルは櫓船に乗って出立した。櫓船は九人の人に漕がれて月光に水のしぶきを立てた。
「歌をうたってくれ、トオカル・ダル」みんなが叫んだ。
「歌をうたってくれ、ロックリンのトオカル」舵手が言った。舵手もほかの一同もみんながゲエルの人々であって、トオカルだけが北の国の人であった。
「何を歌おう、お前たちの好きな戦争の歌か、お前たちをいとしみ抱く女たちの歌か、やがてはお前たちに来る死の歌か、お前たちの怖がる神罰の歌か」
怒りを帯びた低いうめき声が人々のひげの陰から洩れた。
燃え立つ怒りを抑えて舵手は眼を伏せたまま答えた「琴手よ、われわれは君を無事に本土に送り届ける誓いこそしたが、君の悪口をきいて黙っている誓いをした覚えはない、風に飛んで来た矢のために君の眼は見えなくされ…