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海豹
あざらし |
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作品ID | 49923 |
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著者 | マクラウド フィオナ Ⓦ |
翻訳者 | 松村 みね子 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「かなしき女王 ケルト幻想作品集」 ちくま文庫、筑摩書房 2005(平成17)年11月10日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 匿名 |
公開 / 更新 | 2012-06-25 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 8 ページ(500字/頁で計算) |
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神がコラムを永遠の宴に召される一年ほど前のことである、[#「ことである、」は底本では「ことである。」]ある夜、兄弟たちの中の最年少者「雀斑」とあだなされたポウルが彼のもとに来た。
「月が星のなかにあります、おおコラムよ、きょう神と共にある老ムルタックは、神とあなたのお心どおり、島の東端のかわいた砂の深みに葬られます」
そこで聖者は疲れねの床から起きあがり、ムルタックの葬られたところに行って、その場所を祝福した、地に這う虫もいかなる生物も聖き死者に触るるなと命じた。彼は言った「ただ神のみが、神のみが御手ずから造りたまいしものを奪りたまえ」
帰るみちすがらねむけが去ってしまった。海のうつくしい潮の香がコラムの鼻に入った、彼は体じゅうの血管に波が走るのを聞いた。
僧房の入口で彼は振りむいて、兄弟たちに内に入れと命じた「平和なんじらと共にあれ」彼は疲れたように言った。
それから彼はひとりで海の方に下りて行った。
近頃になって高僧コラムはたいそう物やさしくなって来た。彼が神の子らの最も小さき者なる魚ども蝿どもにまで祝福を与えて以来、そのたましいはより清い焔にかがやいた。その灰色の眼には深いあわれみが宿って見えた。夜なかに彼は目がさめた、神がそこにおいでなされた。
コラムは老いて真白な頭をひくく下げて言った「おおキリストよ、このよろこび、このよろこび、今こそわたくしの時が来た」
しかし神は仰せられた「いやコラムよ、今も私を十字架にかけているコラムよ、まだお前の時は来ない、私が栄光に連れて行こうとする霊は、ムルタックだ、むかし曾てドルイドであったムルタックだ」
その時コラムは懼れ悲しみつつ立ち上った。部屋には灯がなかった。深い暗黒のなかに彼の霊がうなだれた。しかし、心のうつくしさが彼の身のまわりに和らかい光を与えた、その徳のかがやきの中に彼は立ち上がってムルタックの寝ているところまで行った。
老僧ムルタックはまことに眠っていた。うつくしい息をついて――今わかく美しくなった彼は天の林檎の樹の下で平和に笑っているのであった。
コラムは叫んだ「おおムルタックよ、曾てお前がドルイドであった為、また、お前の異教の同族が悔い改めないで殺されるのをお前が見るのをいやがっていた為に、私はお前をわが兄弟たちの中の最劣等者と見ていた。しかし、まことに、私はこの年になって何も知らないで教えられる少年のようになった。神よ、私の生涯からたかぶりの罪をあらい清めたまえ」
そういうと和らかい白い光が翼ある美しいものの姿で、死者の側に立った。
「あなたはムルタックか」コラムは深く畏れて囁いた。
「いや、ムルタックではない」消えてゆく歌のような息がした。
「あなたは誰か」
「私は平和だ」その栄光が言った。
コラムは跪いて、歓びにむせび泣いた、曾てあり今はもうない悲しみのために。
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